宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-517    仮谷さん拉致事件のつづき

 
 仮谷清志の素性について
 
 最近になり、新たなことが判明した。
 これまで仮谷清志だと思われていたオバマ大統領は、実は、仮谷清志ではなく、実質的な麻原彰晃だった可能性が出てきた。
 さらに、この事件の中での仮谷清志というのは、実際の仮谷清志ではなく(実際の仮谷清志はオバマ大統領や菊池直子)、仮谷清志の身代わりとなって死んだ人物で、名前は、野口とか伊藤などと名乗っていた好青年のような若者だったことがわかった。
 この若者は、1990年~1993年までを銀座の広告会社で、1994年~1997年頃までは御茶ノ水猿楽町の広告調査会社で、それぞれ、野口、伊藤という名前で働いていた人物だった。
 しかし、それ以上の素性はわかっていなく、何故、この人物がオウムに殺害されたことらより、仮谷拉致事件という事件になったのか、その人物が殺害されたことにより、世の中にどのような影響を与えたのかなどがよくわからない。
 この人物は、仮谷拉致事件が起きた後の1995年頃に、猿楽町の広告調査会社にアルバイトの伊藤として入社してきたが、「浜田山の不動産会社の社長の息子で、社会修行をするためにこの会社に入ってきた」ということだった。
 しかし、その御曹司の割には普通ではない、どこか怯えたようなところがあり、何が楽しくて生きているのかよくわからない、といったような印象があった。
 この人物が、仮谷拉致事件の殺害された後は、殺害者がこの人物を演じていたようだ。
 麻原に親を殺されていた、という過去を持っていたようだ。
 この人物が、もと、浜田山の不動産会社の息子ではなくて、不動産会社を経営している本人だとすれば、この辺り一帯の不動産は、オウムに乗っ取られていることだろう。
 
 調べて、多少わかったことでは、この人物は、杉並区浜田山周辺を管轄する公安だったということだ。
 
 仮谷さん殺害の理由は、会社の同僚の妬みだった
 
 仮谷拉致事件について、新たなことがわかってきた。
 それは、次の通りだ。
 仮谷清志として死んだ人物は、1989年頃~1994年頃まで、銀座の広告会社で営業をしていた野口さんという男性だった。
 野口さんの同僚で同じ営業をしていた人物は、野口さんの他4人いたが、この中で蔵多という人物が事件のきっかけを作った。
 野口さんは営業として入社したが、しばらく経った頃からめきめきと頭角を表すようになった。そこで社長は、野口さんに期待をかけるようになっていた。しかし、同僚の蔵多がこれを妬んだ。
 蔵多と野口さんは張り合っていたのだが、野口さんの方が信用されるようになったので、困った蔵多は、女装して野口さんに「あなたを初めて見た時から好きでした、何も言わずに結婚して下さい」と無理やりな申し込みをし、野口さんは強引な女と結婚することにした。
 この蔵多の女装した人物が、仮谷さんの妹である。
 蔵多の女装者は、実は、野口さんと苗字が同じで、野口さんの妹は何年か前から音信不通になっていたのだった。
 しかし、野口さんはそのことをあまり考えないようにしていたのだが、蔵多の女装者は、野口さんの妹を殺してなりすましていたのだ。
 二人は夫婦となったが、この関係が仮谷さんと「妹」の関係だと言われるのは、そういう理由(妹を殺してなりすましていた人物が野口さんと結婚をした)があった。
 実は、野口さんの年齢は、3980歳くらいで、他の権力者と同じように、各国を渡り歩いて政治を執り行い、その政治家について金を儲ける、というようなことをしていた。
 しかし、野口さんは、大内利裕(オバマ)に親を殺されていた、と思い込み、ずっとオバマについていた。
 野口さんは、そういうことで蓄えた財産がかなりあり、妬みで殺害計画を立てたのだが、財産も奪ってしまおう、という思惑の方が大きくなってきたのだと思われる。
 野口さんは、銀座の広告会社を辞めた後、1994年夏頃に、御茶ノ水・猿楽町にある広告調査会社にアルバイトとして入社してきた。
 この会社では、同僚に吉田(上裕史裕)というアルバイトがいて、同じ仕事をしている野口さんと親しくなったようだが、野口さんは、1995年頃には、体調を崩すようになっていたと思われる。
 野口さんは、偽りの妹で妻がオウム信者だったこともあり、オウムと親しくしていたが、演歌歌手Mが「君も目黒公証役場の仮谷清志になってくれないか」と頼んできて、野口さんは仮谷清志として目黒公証役場に出入りするようになった。
 この時、演歌歌手Mは、結婚して20年程経つ妻と離婚することになっていて、目黒区は演歌歌手Mの自宅がある。そこで、財産分与のことなどを目黒公証役場ですることになったのだが、野口さんに仮谷清志になってくれるよう、頼んだ。
 また、この話と同時進行で、野口家では妻が財産を築く、ということもしており、妻は「自分のお陰でこんなにもいい生活をしているのに、ほめ言葉もなければ何にもない」、と不満をためていた。
 妻の殺害動機とすれば、「この生活に対する男としての立場について」の不満ということもあるが、実際には、蔵多の妬みを隠すための大芝居、のようなものだろう。
 後は、仮谷拉致事件でのご存知の通り、大崎の路上で野口さんを拉致して注射などを打ち、もうろうとしている体を人体実験に使うなどして疲弊させ、最終的には死亡した野口さんの遺体を細かくして、電子レンジにかけて骨を灰にした。
 野口さんは、割といい加減な生き方をしていなかったようなので、タフであるとか、骨がある奴、などと言われていた。しかし、蔵多はこれを妬んでいたので、電子レンジで骨を灰にするよう計画した人物に違いない。
 蔵多の正体は、石井久子で林泰男である。
 蔵多は、小さくなった野口さんの遺灰を指でつまんで「お前なんて(跡形もなく)なくなってしまえ」と言い、その灰を捨てたという。
 
 また、銀座の広告会社で野口さんらが営業をしていた時に、1991年頃新入社員として入社してきた小暮という二十歳くらいの営業社員も、野口さんと同じように、オウム事件によって殺害されているのだという。
 この事件についてはまだわかっていないが、例えば、国松長官狙撃事件の際の本当の被害者であるとか(その場合、死んでいる)、地下鉄サリン事件の被害者となって死んだとか、何らかの有名な事件によって死亡させられたのだという。
 
 野口さんの死亡が、何故、仮谷拉致事件として立件されたか、だが、野口さんは、オバマに親を殺されていたので、オバマにこれまでずっと従い、言いなりになっていたのだか、こういう人は我慢強く、性格がわがままではないので、人気があり、おまけに強靭であることから、平和の使者などと呼ばれていたタイプの人物だったのだろう。しかし、年齢が3980歳位なので、普通の一般人の平和の使者では野口さんに太刀打ちできず、野口さんの死亡と共に、自分の人生を狂わされてしまう者も多かったのではないだろうか。
 野口さんの死亡後から、日本経済の崩壊や自殺率が高くなったりしているが、これは彼の死が少なからず影響していると思われるのだ。
 さらに、我慢強さを失った若者が死を選ぶようになったのも、日本人の国民的なマインド・コントロール(シビリアン・コントロール)が凶悪なオウムに殺害されてしまったので、誰もオウムに勝てる人がいなくなってしまった、ということ影響しているだろう。
 
 野口さんがオウムに狙われたもう一つの原因として、野口さんは、杉並区浜田山で公安をしていたようだが、オウムの逮捕や家宅捜索にも野口さんが一役買っているが、これをオウムに見抜かれた、ということも動機になっているはずだ。
 野口さんが、公安に出入りするようになったのは、やはり、親を殺した人物から「公安へ行くよう」命令が出たからだが、野口さんにとってみれば、仕事はちゃんとやらなくてはならないので、そうしているうちに面白くもなってきて、オウムの実態について調べもしていたのだ。
 その甲斐あってか、オウムという団体が警察かにらマークされ出したので、オウムにしてみれば「野口のせいか?」などと思っていて、そこに蔵多のことや夫婦間のこと、これまでの様々な妬みなどが重なり、殺害する計画を立てたのだろう。
 
 小暮さんは国松長官として殺害されていた
 
 銀座の広告会社で、野口さんと同じ営業で後輩だった、小暮さんは、1993年頃に会社を辞めた後、知り合った女性と結婚した。しかし、この女は、またしても蔵多と同一人物者だった。
 辞めているのに殺害しようとした理由は、何なのだろう。
 女はオウム真理教の信者で、妻に誘われるままに小暮さんはオウム真理教に入信した。 
 そのうち、演歌歌手M(麻原)を通じて、小暮さんに「君は1995年3月に、国松長官に変装してマンションから外に出て行って欲しい」などと命令された。
 小暮さんは、もともと、霞ヶ関の警視庁のどこかの第二課だったが、オウム信者の女と結婚して入信したせいで、「オウムは会社にいらない」と言われ、解雇されてしまった。
 そこで小暮さんは、当日、国松長官に変装して南千住のマンションから外へ出て、オウム幹部ら数人に、銃殺されてしまった。報道では、国松長官は重症だが一命を取り留めたことになっているが、銃撃された国松長官で小暮さんは、死亡した。
 小暮さんの年齢はこの時、24歳頃だった。
 小暮さんや野口さんの上司だった、営業部の部長の里さんという男性も、その後、オウムに殺害されている。
 
 このように、オウムで蔵多は、この広告会社の営業のうち、3人を殺害していたとみられる。
 そのうち、二人は若者である。
 
 二人の共通点
 
 オウムの狙いは何だったのだろう。
 野口さんと小暮さんの共通点から探ってみる。
 野口さんと小暮さんは、まず営業職に就いていた。さらに、二人とも公安や警察だった。
 この二人が殺害された後、H本政権が誕生しているが、首謀者の蔵多は、H本龍太郎(A倍晋三)と同一人物である。
 例えば、警察は、H本龍太郎をマークしていたが、それが本人にバレて、「よくも」という理由で、殺害していた、ということも考えられる。
 H本政権というのが一つの分岐点であると思われるのは、女に汚くて人でなしなH本が政権の座に就けば世の中おかしくなるので、マークして探ろう、ということになったが、H本が警察官の別名者の野口さんや小暮さんを殺害し、H本政権を誕生させたかったのではないだろうか。
 小暮さんは、Kという名前の警察官だったが、野口さんも同じKという名前で、1980年代半ば~後半頃に、蔵多と同一人物者の学生(蔵多と同一人物)を捜査対象にしていた。何故、同じ名前だったかといえば、親子だったからだ。
 1985年頃、K警察官としてH本などをマークしていたら、今度はそれを息子も行うようになり、同じ捜査をしていた二人の警察官を殺すことが、H本政権への近道だと考えたのだろう。
 
 H本(A倍)は、「警察をやった」ということで、自民党の一部から支持を受けている。
 
 野口さんは女性だった
 
 野口さんは、女性であったことがわかった。
 このことにより、オウム側と対決していた女性が不慮の死を遂げたことで、オウムに刃向かえる人が死んでしまったことになる。
 オウムにとって、野口さんは邪魔な存在だったのは、オウムと対立する立場であると同時に、イスラム思想を持っているオウムが野口さんが活躍することは避けたいし、許せないと思っていたのだ。
 社会党の進出と共に女性が政治や社会で台頭してきたことを苦々しく思っていた人たちにとって、野口さんの死は青天の霹靂ほどの意味を持ったことだろう。
 野口さんの死亡により、野口さんのような力を持った女性たちも政治や犯罪のために、衰退や存在の否定を余儀なくなされた。
 1997年より、若者の自殺が急増したが、実は、女性が自殺を図る率も増大している。一説によると、男よりも女の方が多いのだが、それを言ってしまうと体裁が悪い、ということで隠しているのだともいう。
 野口さんの死をきっかけにしてか、次々と女性が政治の舞台から姿を消して、世の中はイスラム思想が蔓延することになっている。

 野口さんは仮谷さんだった
 
 その後、野口さんは、オウムが起こした仮谷拉致事件の仮谷清志であることがわかった。
 仮谷清志は、1995年にすでに死亡しているので、2011年にオバマが殺害した、と発表していたビン・ラデイン師の偽者は、野口さんではない。
 オバマ大統領は、「仮谷清志なので大統領になった」、と言われていたが、これはウソである。
 オバマは、実質的な麻原彰晃のように、オウム幹部に命令を下している人物である。
 オバマがどのようにして、麻原彰晃であることを隠しているのかはまだわかっていないが、麻原彰晃として裁判に出廷しているのは、オバマ(新実)と同一人物者ではない。
 
 2011年5月に死んだというビン・ラデイン師の偽者だが、野口さんの子供などをビン・ラディシ師に見せかけて
殺害していた可能性もある。
 野口さんは、パレスチナ同盟として、タリバンと対決する側にいたらしいが、タリバンと対決している側の人をビン・ラディン師に見せかけて殺害する、というのは、野口さんの親を殺していたオバマなら、やりかねないだろう。
 
 野口さんに迷惑をかける
 
 野口さんは、もともと、親を殺されていたが、新実智光の顔に野口さんが似ているのは、オウム信者が野口さんの顔になって新実智光としてオウムに入信していた可能性がある。
 俳優のE口洋介の顔は、野口さんの顔とタフさがモデルになっていて、さらに新実の顔も野口さんに似ているのは、オウムが野口さんにあてつけたいのと、迷惑をかけるためにやっていたことなのだろう。
 野口さんを生きているかのように見せかけている、ということもある。