宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑥ー12    帝銀事件のつづき

 

 犯人は皇太子

 

 帝銀事件の犯人は当時の皇太子と同一人物であると思われる。 

 青森の建設会社を経営している人物が帝銀事件の人相書きの人物によく似ており、最近、外部の者に「あの事件は自分がやった」と吹聴、告白していたのだ。 

 動機としては、これは推測だが「皇太子としての罪を免れるため」ではないだろうか。

 戦後に行われた東京裁判では、731部隊に参加した医師、秋元須恵夫にそっくりな人物が石井四郎として出廷している。石井四郎は東条英機と同一人物であるとアメリカがみなしていた。しかし、裁判に出てきたのは、医師の秋元須恵夫で、アメリカ側は「あなたは(石井四郎で)秋元須恵夫ですか」と聞いた後被告は「はい」と答えた。

 その後、アメリカは、顔のよく似た名前だけ同名者の氏名を言い「あなたはUスエオですか」と聞いた後、本当は違うのに「そうです」と答えてしまったのだ。

 この後、東京裁判は意味がほとんどなくなってしまった。本来なら、東条英機で石井四郎を裁くために行われた裁判なのに、石井四郎はUという家の人物だったことにすりかえられ、敗戦の賠償金をU家が所有する土地建物が次々と接収され、東条英機の家からも天皇家からも接収されないことになった。 

 当時のU家の当主は、皇太子と同一人物者だったが、U家は女系一家だったので、天皇家も目をつけていたのだった。皇太子にしてみれば、女系一家は面白くなく、戦争の責任をなすり付けることにより、家を断絶させようとしていたのだ。

 ところで、東条英機で石井四郎に戦争犯罪をなすりつけられた皇太子は、U家はどうでもいいが、自身は助かりたかった。

 しこで、皇太子が助かる方法として、戦後に事件を起こし未解決事件にすることにより、罪を逃れようとしたのではないだろうか。

  皇太子は、厚生技官の松井蔚と同一人物であると思われ、平沢の絵のパトロンをしていたと思われる。平沢が船の上で名刺交換をする前から知っていた可能性がある。

 戦争中は、プロパガンダ戦争画を画家に描かせていて、皇太子は画家を複数人かそれ以上知っていた。

 松井は731部隊の海外版のシンガポールにいたが、平沢もシンガポール新高シンガポールから絵を頼まれていたのではないだろうか。平沢は貧乏な画家ではなく、高額な給料をもらっていたフシがあり、戦時中に画家がなる職業といえば戦争画ぐらいだろう。

 帝銀事件で警察の捜査も盛り上がってきた頃、GHQから「石井史郎は逮捕しないでくれ」と圧力がかかったという。本来の石井四郎は東条英機と同一人物だが、東京裁判で皇太子が東条英機で石井四郎ということにすり替えられていたので、警察は皇太子と同一人物の松井蔚を石井四郎とみなし逮捕するのをやめたのだ。その結果、松井が絵のパトロンをしていた平沢にお鉢が回ってきたのだ。

 人相書と平沢の顔が違っていたのは、人物が違うからで、このことを平沢は冤罪だと言っていたのだろう。

 使用された毒物は菁酸ニトリルということだが、731部隊の関連施設が開発中で終戦を迎えたようだ。強力な毒ということだが、生きたクマを原料としていたのではないだろうか。クマを使えばどんな人にも効果があるということをアピールし、減刑を訴えたかったのではないだろうか。助かった人たちは、皇太子に同情的、協力的な人たちで、外国の要人も含まれていたと考えられる。