宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑥-10    帝銀事件のつづき

 

 平沢貞通は石井四郎の妻?

 

 帝銀事件の犯人だと言われる平沢貞通は、石井四郎本人ではなく、石井四郎の妻である可能性が出てきた。

 捜査班が帝銀事件について石井四郎を調べに行った際、石井四郎は親和的で事件にいする見解を述べていたというのだ。

 石井四郎の妻を調べると、ほとんどどこにも載っていない。だが、京都大学の荒木寅三郎という総長の娘であることがわかった。名前は不明だ。荒木氏の娘婿が石井四郎ということだ。

 平沢貞通は、画家として虎の絵を描いていたこともあったようだ。

 石井四郎の妻は、石井四郎が東条英機と同一人物であるので、東条カツ子と同一人物である可能性がある。東条カツ子といえば、福岡県小倉の出身で、当初、米軍は、小倉に原爆を落とすことを計画していたというが、天候の関係で長崎県へ投下した、という説がある。

 長崎県に投下された理由として、東条英機が三菱の御曹司だったので、三菱の造船所がある長崎に投下を変更したということなのではないだろうか。

 つまり、東条カツ子の罪を東条英機の会社に押し付けという意図にも取れる。その位の人物なので、石井四郎と妻との関係は、ほぼ同等かある程度の権限を持ち石井や部下に影響を及ぼしていたのではないだろうか。

 

 戦争画を描く画家

 

 平沢貞通は、テンペラ画を描く画家だったという。売れっ子で毎月の収入はサラリーマンの5~6倍だったという。

 平沢が描いた絵は、当時の首相官邸に飾られたり、当時の皇太子が平沢に絵を描いてくれ、と頼んでいたという人気ぶりである。

 しかし、その割に誰もが知っている画家というわけではない。戦争末期には借金が膨らんでいたというので、戦争と同時に絵が売れなくなったと考えられる。

 ところで戦争画という絵画がある。例えば、外国の戦争や革命時に当時の様子を描いた絵画や肖像画等が残されている。第二次大戦当時も、今程カメラが各家庭に行きわたっていたわけではなく、戦争の様子を絵画に残したりプロパガンダに利用するのに軍がお抱えの画家を雇っていたらしい。そういう画家を「従軍画家」というようだ。平沢の妻は、平沢は戦争時にも出兵しないで家にいてそれなりの収入があった、と言っている。実は、平沢も従軍画家として収入を得ていたのではないだろうか。そして、終戦末期、日本の敗戦が色濃くなった時には、従軍画家も絵が売れなくなり絵を描いても給料をもらえないことが重なって借金をしていたということが考えられる。

 陸軍省が大日本陸軍従軍画家協会を結成したのは、1938年のことで、陸海軍省は戦地へ従軍画家を派遣するようになる。

 例えば、平沢は温泉旅行に行くと行って戦地に赴き戦争画を描いていたとして、その舞台が731部隊満州だった、ということもあり得る。その際、見聞きしたことに興味を覚え、金がなくなった頃に毒物を使って謀略をやらないか、等頼まれたという可能性もあり得なくはない。皇太子や首相に絵を描くよう頼まれるのだから、それなりのコネがあったはずである。

 

 平沢にはパトロンがいたと言われている。虎の絵を描いてくれと頼まれその見返りに代金をもらうが、その代金が法外な時裏があると思って間違いないだろう。例えば、誰それを殺してくれ、とか、ある謀略をしてもし成功したら絵の代金と合わせて500万円払う、というような依頼である。

 平沢は、当時、皇太子から絵を頼まれていたが、帝銀事件が起こり、その絵の下絵を描くのに東京へ向かう途中で御用となっている。

 すぐに思い浮かぶのは、皇太子から絵を頼まれ、さらに、帝銀事件を起こして未解決にしてくれたら大金を払うと言われていたという内容だ。つまり、この頃の平沢のパトロンは当時の皇太子だったわけである。昭和23年当時の皇太子といえば、昭和天皇の息子である。当時の皇太子の誕生年は昭和8年なので、昭和23年当時15才だったことになる。戦争中だと10代前半である。15才でお抱え画家を雇うのも早いかと思うが、当時は戦争直後なのでどうなのだろう。

 皇太子は何らかの疑いをGHQからかけられ、その疑いを他に向けるか見逃させるために、お抱え画家の平沢に帝銀事件を依頼し、自身あるいはその人物を無起訴にさせようと思ったのではないだろうか。それが石井四郎だったのではないだろうか。例えば、皇太子が石井四郎か関係者と同一人物だった場合、それは石井四郎のためにやった事件なのだから、東京裁判で無罪になる可能性が出てくる。

 

 コルサコフ狂犬病

 

 平沢が罹っていたというコルサコフという病気は、狂言癖と老人痴呆症だが、狂犬病のことであるという。戦状が不利になった時に犬が発病し、それが平沢にうつったのではないだろうか。

 動物を扱っていた731部隊等の満州系部隊に第100部隊という隊がある。他にも動物の実権や管理をしている部隊があったようで、獣医も隊員として所属していたようだ。

 栄1644部隊という部隊があり、女性部隊もいたようだ。

 

 

 イギリスの謀略だった

 

 満州に溥儀という中国最後の皇帝がいた。この皇帝の正体は、昭和天皇の息子の皇太子(明仁)である。兄弟の溥傑は皇太子の弟(常陸宮)である。

 二人の王子が満州で皇帝と王子になった後、日本の天皇家には、台湾の蒋介石が皇太子として迎え入れられた。

 蒋介石は、松岡洋祐として外務大臣も兼務し、ドイツ、イタリアと同盟を結んだ。エリザベス女王は、この蒋介石を自身の母だと思っていたという説もある。もしそうなら、エリザベス女王としては、イギリスは、キリスト教プロテスタントの信仰国として、キリスト教が嫌いな国々(特に中国、日本)を敗戦させる目的があった可能性もある。

 満州では、2歳で即位した溥儀を皇帝とし、溥儀を中心とした政治が行われたが、その世話をしていたのは石井四郎や昭和天皇である。

 石井四郎の731部隊は、主に、女性を人体実験に使い溥儀の政治に役立てようとしたが、これは、皇帝溥儀のためのものではないだろうか。さらに、溥儀の妃や側室となった女性のために、中国人女性が纏足(てんそく)を強制され、溥儀の妻や側室に役立たせようとしたと思われる。

 石井四郎が、帝銀事件の謀略により無起訴となったことは、イギリスにとって都合が良かった。中国人を生体実験に使った功労者の石井四郎を裁かせては対立国が有利になってしまう。

 最後の皇帝溥儀が日本の敗戦と共に退位した後、大勢の中国人を人体実験に使った石井四郎は裁かれることがなかった。つまり、中国人の犠牲は意味のないものとなってしまったのだ。

 中国人の犠牲をイギリスが戦争犯罪としても認めなかったということにもなろう。

 帝銀事件は、中国に対する謀略の意味があったののではないだろうか。

 

 犯人は岡9420隊の中の誰かか

 

 731部隊には、各地に支隊のような隊があり、栄1644部隊や1855部隊等、731部隊と名称が異なる部隊がある。その部隊それぞれがノミの研究であったりネズミの研究などをしていて、人体実験もしていたという話がある。

 その中の岡9420という部隊があり、この部隊は、シンガポールを活動拠点としていた。隊員の中には、ミドリ十字創立者もいる。その岡9420という部隊の隊員の中に、平沢貞通が船の上で名刺交換をしたという松井蔚※が在籍していた。松井の在籍している部署は、細菌の研究をする部署だったようだが、詳しい作業内容は不明だ。

 石井四郎を助けるために、外国の支部の人物が事件を起こすという可能性はあるだろう。中国や日本で知られていない、シンガポールを拠点としていた隊員、あるいは隊長だったら、見破られない、捜査の手が届かない可能性があるからだ。

 この部隊の部長は、北川正隆と羽山良雄という人物の二人である。石井四郎を助けるために事件を起こし、未解決だった場合、出世できる等の密約があった可能性もある。

 このうち、北川正隆という隊長は、1943年か1944年に事故で死んでいると言われている。何の事故かはわからないが、その人物の事故が、もう一人の隊長に影響を与えた可能性がある。北川の部隊は、大量のペスト菌に汚染されたノミを各地に運ぶというような任務をしていたらしいので、その途中の事故か、あるいは、戦闘機に乗っている最中の事故かも知れない。

 

 ※松井名刺 昭和22年10月に安田銀行荏原支店で帝銀事件の予行練習と思われる毒殺未遂事件があった。この時、犯人は、厚生技官 松井蔚 厚生省予防局 の名刺を出して行員を信用させようとした。