宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1018    仮谷さん拉致事件のつづき

 

 平田信は仮谷清志の妻だった?

 

 仮谷清志がМ下孝蔵と同一人物だとすると、近い人物に逃走犯がいるはずだ。

 М下孝蔵の妻家族が、1990年代にМ下孝蔵が青年実業家であると吹聴していたりイビッていた説がある。

 平田信は、仮谷清志と同一人物と言われることもあったり、写真が似ていることがあり、М下孝蔵の妻だった可能性がある。また、妻の兄は、菊地直子に顔の一部が似ている。さらに、妻の母親は、М下孝蔵で仮谷清志のような人物と同居して、寮のある仕事をしていた時に目撃されていて、妻の兄と同一人物かも知れない。

 そして、寮に住んでいたМ下孝蔵のような人物が、М下孝蔵を殺害した高橋克也かも知れない。この人物の頭がデカかった。

 このように、資産家であるM下孝蔵の妻の家族が三人の逃走犯である可能性がある。

 

 前述のカノウという人物は、妻の別名の家族であり、仮谷清志本人ではないが、夫が死んだことをいいことに、夫の財産をせしめて運用をしていたのかも知れない。

 

 麻原彰晃ムハンマド

 

 麻原彰晃は、イスラム教の創立者ムハンマドではないだろうか。麻原彰晃は、徳川家康とも同一人物で、徳川幕府キリスト教を弾圧していたのは、イスラム教だからではないだろうか。

 宝暦事件で、公家の女性ほとんどが殺害されたのは、イスラム教の教義によるもので、女性殺害だけではなく、家の一族を殺害し、財産をせしめていた。

 取る物がなくなり、徳川幕府も終わりになり明治維新が起こるが、イスラム教ではないインド人が明治天皇となったが、イスラム勢力としてはそれが面白くなく革命を企むようになり、それが現在に至っているのではないだろうか。

 赤軍派は、日本赤軍連合赤軍中核派などのグループがあるが、イエスキリストの父親の方を教祖とする、ロシアのロシア正教会や中国の景教がそれらの過激派組織を作り、イスラム教のムハンマド天皇として即位させようとする革命を企んだのではないだろうか。日本赤軍中核派等を統括するのが、北朝鮮統一教会連合赤軍で、これもイスラム教のムハンマドを教祖としている可能性がある。どの宗教も、イスラム教のスンニー派の極端な女性差別思想を教義としていると思われ、ある程度、ヒンズー教とも教義が一致しているが、ムハンマドは、ヒンズー教の教祖とも同一人物でもあり、女性に対して多少の融通をする明治天皇を敵とみなして、その明治天皇が仮谷清志ということなのではないだろうか。

 赤軍というのは、元々、ロシアの海軍を青軍といい、陸軍を赤軍と呼んだことから、その陸軍の赤軍から名前を取り、陸上で過激派行為をする人の名称としたのが始まりである可能性がある。

 中世時代には、魔女狩りが起きたが、これも、ムハンマドイスラム教による女性弾圧だろう。キリスト教の布教活動ではなく、イスラム教の布教活動だったのだ。

 魔女狩りに似た指名手配に、菊地直子の指名手配があるが、平田や高橋が有罪となったのに菊地だけ無罪となったのは、ムハンマドイスラム教の布教活動が中断されては困るからだろう。実際に、裁判前まではオウム真理教に入信する人たちが多かったが、菊地が無罪になってからは、イスラムスンニー派の信仰者が日本国内で多くなっている。これは、女の指名手配犯だけ無罪になったので、女の弾圧が続くということを意味し、男は自由の身となった後、今度は男がダメな性別である女を集団でバカにしたりイピッたりしているうちに、女を殺すと金が入ってくるということが多くなり、これがイスラムスンニー派等の布教活動となっているのではないだろうか。

 

 イギリスのプロテスタント派とは

 

 イギリスの国教であるというプロテスタント派は、一見すると、マリア教なので女性の味方、という印象を受けるが、実は、イエスの父母は、男女が逆であり、マリアが父親、エホバが母親であると思われる。

 プロテスタント派は、火山教とも別名があるようだが、火山は、女の味方ではなく、煮えたぎるマグマが爆発する男性的なイメージから男の味方である。

 プロテスタントを国教としているイギリスは、イメージとは真逆でかなりな女性差別的な思想を持っており、女性差別の西側の本拠地は実はイギリス、というのは有名な常識である。

 ムハンマドは、エリザベス女王の夫であると思われることから、国内も女性差別思想が強いと思われる。これが80年以上続いているし、プロテスタント派だから方向転換しないだろう。

 前述の連合赤軍北朝鮮統一教会と関係があるとしたが、北朝鮮と仲がいいのがイギリスで、北朝鮮とイギリスが連合赤軍のバックではないかと思われる。

 イスラムスンニー派が極端な女性差別思想なのは、実は、ムハンマドや信仰者が、人間の女を皆殺しにして人類を滅亡させようとする「クマ」だからではないだろうか。

 イスラムスンニー派がクマの集合体だとして、女性をターゲットにしているとみせかけて実は男性も殺害して、自身ら(クマ)のユートピアを作ろうとしているのではないだろうか。

 

 仮谷清志は何故狙われたのか

 

 М下孝蔵であると思われる仮谷清志は、K村Y子という人を歌のモデルにしていた。

そのうちにその歌がヒットし、テレビ等にも出演するようになった。しかし、それが面白くなかったのがK村Y子だ。K村は、エリザベス女王と同一人物だったのだ。М下孝蔵は当時の日本の皇太子だ。

 それが原因かはわからないが、K村Y子は、菊地直子と同一人物である。

 菊地直子のプロフィールには、マラソン選手だったとあるが、М下孝蔵のヒット曲には、校庭でジョギングする女性が描かれている。

 

 菊地直子はオウムの入信申込書を捏造していた

 

 菊地直子は、入信当時河村Y子という名前だったが、ある時、麻原に「U田という苗字だったことにしてくれ」と頼み、それを麻原が承諾し、「今度マラソン大会に出場することになったU田Y子さんです」と紹介したという。その後、麻原は、河村Y子の入信申込書を河村の部分をU田に書き換え、河村Y子の住んでいた大塚5-37の住所を、実在するオウム信者ではないU田Y子さんの現住所に書き換え、さもU田さんが最初からオウム真理教に入信していたかのように捏造した。

 U田さんが、現住所に引っ越したのは2002年頃なので、その書き換えは、2002年以降ということになり、まさに菊地直子が逃走していた時期である。このように、麻原は、逃走犯を隠匿し逃走の手助けをしていたのだ。

 

 皇后М子が早川紀代秀で国松長官 オウム、赤軍派、警視庁の謀略

 

 皇后М子は、親を殺害されるところを、別の19歳の女性を殺害させているが、皇后М子は、早川紀代秀であるという。頭蓋骨を「これがイナバだ」と呼んでいることから、

この殺害を仕組んだのは、早川紀代秀で「イナバ」であると思われる。

 19歳の女性は、高橋克也を殺そうと待ち伏せていたが、こんな弱冠者に高橋が殺害されるはずはないことが最初からわかっていたのだ。

 19歳の女性が高橋のいる浴室に行き、高橋にかかろうとしたが高橋の方が力が強く、逆に女性の方が殺害されてしまった。同じ部屋に母親がいたが、この母親はその場で自殺を図り、その後はわからない。

 М下孝蔵の代わりにその娘が殺害されたわけだが、それは計画通りだったのだろう。

 しかし、19歳女性の死後、母親のところに度々、平田信が押しかけて恫喝を受けていることから母親は自殺を図った後助かったが、その後、オウム信者らに江東区住吉のマンションの階段付近で待ち伏せされて階段から突き落とされることがあり、病院に運ばれたが、生死不明だ。
 この計画をしているのが、早川紀代秀と同一人物の国松長官である。警察長官が何故、罪もない一般の人の殺害を首謀するのかは謎だ。

 しかし、皇后М子としては、浩の宮の命令を聞いたのかも知れないが、動機はわからない。どこかで会って「ただムカつくから」というものに近いのかも知れない。

 浩の宮のオウム信者名は、土屋正実であると思われる。仮谷さん(本当は替え玉の女性)が殺害されたとしてその仮谷さんの子だということで複数の人が死んでいるが、その仮谷さんの子の親は、土屋正実の化学兵器班の同僚の中川智正だ。

 国松長官は、90年代初め頃、東銀座の広告制作会社S社で社長をしていた平野という人物だ。このS社には、日本赤軍等の赤軍派のメンバーが複数人働いていた。

 一人いれば複数人メンバーがいるという可能性が高いが、社長も同様に赤軍派のメンバーである可能性もある。国松長官は、東京戦争のメンバーの田中義三という赤軍派の人物に顔の一部が似ている。

 東京戦争の舞台となったのは、東京大学周辺や管轄のМ警察署だ。М警察署といえば、仮谷拉致事件でE川紹子でN科愛子(仮谷清志の妹)の相談を受け付けた警察署と同じ警察署だ。この警察署の署長が国松長官で早川紀代秀だった。これは、警察庁、警視庁とオウム真理教赤軍派共同の謀略である可能性が高い。

 仮谷清志の代わりに殺害された19歳の女性は、U田雅子さんといい、河村Y子が麻原に名前の書き換えを頼んで菊地直子に仕立てられそうになっているU田Y子さんは、U田雅子さんの姉に当たる。U田雅子さんの母親は、U田K子さんといい、三人は家族だ。

 警視庁や赤軍派、オウムの狙いは、このU田さん家族だったことになる。

 U田さんの家族の中に、帝銀事件の犯人に疑われた人物がいたが、帝銀事件の犯人は、石井四郎が定説である。石井四郎は、国松長官と同一人物である。国松長官は、帝銀事件の真相を知られては困るとして、U田さん家族を狙わせたのだろうか。

 しかし、これは、菊地直子の逃走側に関連した事件の一部である。高橋克也平田信の逃走にも似たような物語があるはずだ。

 だが、菊地直子だけ無罪判決を受けており、これらの周辺の世代の人たちは、まだ不安な心を持っている。

 これは、浩の宮の命令なのか、石井四郎の命令なのかはわからない。

 

 仮谷清志家は、М下孝蔵の家だったとすると、逃走犯3人がいる家は、河村Y子の大塚の家ということになる。

 大塚の河村家は

 

父 平田信

母 仮谷清志

長男 仮谷清志

次男 高橋克也

長女 菊地直子

 

という具合である。

 

 警察は方向を間違えている

 

 この家で、母で長男が資産家だったことから、父や次男、妹が仮谷清志の財産を狙って資産争いが起きたとする。妹は、М下孝蔵の歌のモデルをさせられ、次男も歌手をしていたが、次男と関わりを持てばМ下孝蔵の歌が順調になるはずだ、と多少利用しようという心があったのかも知れない。父の平田は、息子や娘に誘われて資産争いに参加し、仮谷清志を殺害しようとして殺害できず、代わりに次男に恨みを抱いていたU田さんが殺害されたことになる。この時点で、河村家の犠牲にU田家が使われたことになる。早川紀代秀で国松長官は、それを忘れてU田家が憎いとして(ほぼ犯人扱い)、警察、赤軍派、オウムぐるみでU田家を攻撃することになる。しかし、このことには、仮谷清志として財産を奪われては困る仮谷清志と同一人物の浩の宮の思惑があり、何とかU田家で被害を止めておきたかった。そこで、早川紀代秀で国松長官にU田家を徹底的に攻撃するよう命令を出したのだ。河村Y子のオウムの入会申込書の名前がU田Y子さんに書き換えられたのは、そのためで、河村Y子とU田Y子さんをすりかえておけば、U田家が、犯人の家で被害者の家になり、お家騒動で財産争いがあり、それを巡って仮谷拉致事件が起きたんだ、と錯覚させられる。