宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 75    菊地直子を利用した天皇家崩壊計画

 1995年頃、天皇北朝鮮の脅威を感じている、と警察関係者がキャッチした。
 これは、日本中の原発会社が、一斉に稼動をし始めろ、という合図である。
 この命令を出したのが、オウム信者で渡辺芳則元会長の娘の大内早苗で、演歌歌手のY代である(1995年頃、放送作家でクリエーターのA元Y氏の母親を殺害し、A元と名乗っていた)。
 天皇はこの後、皇居の地下室で殺害されたか、身内が死亡している。

 日本の原発会社には、度々I知事が金を振り込んでおり、自分の仲間の危機であったり、不都合が生じた時のために、前々からコネを作っておくためである。
 I知事は、銀行口座を作れない事情があり(テロリストなので制裁を受けている・知事の給与も他人名義の銀行口座を使っているといわれている)、他人名義の銀行口座から原発企業に振り込み、その振り込み名義人をターゲットにするよう、暗黙の了解が業界内にもある。
 
 1995年頃にも、I知事が原発企業を動かしていたと思われ、そのターゲットが天皇であることも考えられる。
 つまり、I知事が天皇の偽造口座を作り、原発企業につけ狙うよう天皇の偽造口座から金を原発企業に振り込み、天皇をターゲットにしていたために、天皇北朝鮮からの脅威を感じていたということである。

 宮内庁病院は東大病院

 宮内庁病院は、文京区にある東京大学内の東大病院である。
 皇族は、東大病院で宮内庁病院でお産をすることが多い。東大病院は特に厳しい警備があるわけではなく、外部からの出入りも出来る。
 仮に皇族の子供をすりかえようとしても、簡単に出来てしまう可能性もある。
 東大病院が宮内庁病院であることを知っている一般の人たちも中にはいて、赤軍派などが東大の近くに住んでいた、というのもこれが目的であったと思われる。
 
 菊地直子昭和天皇の娘

 オウムの逃走犯の菊地直子こと天皇家の娘の清子は、1970年のよど号事件の際に、平野真美と名乗り兄の一路(文仁?)とともに(皇太子と皇太子妃結婚を反対した勢力が大きかった)大阪に連れられ、その後、A前首相に引き取られた。平成天皇の娘ではなく、昭和天皇の娘だった。そのため、昭和天皇とA前首相は仲が悪かった。昭和天皇が何かにつけ、A前首相のせいにしていたのは、関係者の間では有名な話である。
 しかし、年頃になりオウムの幹部と知り合い、政治に利用されるようにもなり、そのことが原因で昭和天皇崩御した。
 宮内庁病院では、この菊地直子をかばうために、多くの冤罪者を出し、菊地ではない者が菊地直子であると疑われた。
 菊地直子は1986年頃のN政権の時に政治に利用され、タレントで歌手のオウム幹部の魔の手から逃れようと、テレビ局T社に就職し、アナウンサーとなった。それが菊地直子こと、A宮T子元アナウンサーである。
 菊地直子は、高校生の時に、自分とすりかわったNの宮と出会い、ライバルとして何かにつけて張り合っていた。
 しかし、どうしても勝つことが出来ず、当時Nの宮が名乗っていた同じ名前の「直子」という名の女性を殺害した。その女性は、麻原をコーチに持つマラソン選手だった菊地直子という女性で、清子より年上だった。
 清子は当時、熊倉と名乗っていた。
 オウムの幹部は、菊地を使って政治だけでなく、天皇家の崩壊計画をすすめ、1995年か1997年に明仁を殺害した。その後、2005年頃、Hの宮を殺害した。
 Hの宮が警察関係者から平田信に間違えられていたのは、菊地直子がHの宮の妹だったからではないだろか。
 
 宮内庁病院は、外部者が出入りできる。
 実は皇族の子供は、そのことを知る者によって、すりかえが可能である。
 第二次世界大戦の時、台湾人の政府幹部の息子が、当時の皇太子にそっくりな者がいて、日本政府の身動きがとれなかった、というのは、それに似たような事があり、明仁の弟(A前首相?→しかし、長年の宮内庁との対立により、天皇家を恨んでいる)と義の宮(I知事の父親で、張作霖蒋介石の息子)がすりかえられた可能性が大きい。
 
 ところで、明仁を殺害したのは、J事務所に所属する人気グループSの、K村であるともいわれている。
 この人物は、オウムの大内利裕で演歌歌手Mと同一人物であると噂されている。演歌歌手Mは、菊地直子の愛人でN政権の時に菊地を利用していたオウム幹部である。
 麻原彰晃は、演歌歌手Mの父親でS学会名誉会長のI田氏と同一人物である。
 天皇家がS学会を嫌っている、というのは、本当のことであるかも知れない。