宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件    天皇陛下殺人事件86 菊地直子は工藤会 オウム初動捜査は赤軍派の誘導だった

 菊地直子は、山口組工藤会の会長の娘

 山口組暴力団工藤会がある。会長は、野村悟といい、菊地直子の父親である。
 工藤会は、盗聴や右翼団体のようなことをしながら、娘の菊地直子をかばっている。
 野村の顔は、A前首相とうりふたつで、菊地直子の素性と一致している。
 野村は、1998年頃、警視庁M警察署に乗り込み、文京区役所(シビックセンター)の屋上からヘリコプターを操縦し、自らを公安であると称し、菊地直子と別人を感覚的にすりかえようとした。
 工藤会は、麻原彰晃みかじめ料の件でいさかいを起こし、麻原彰晃の自宅に弾丸を送りつけるなどしている。
 麻原彰晃はG籐組の組長で、工藤会とG籐組の対立がある。

 野村の愛人にジャーナリストのE川S子(大内早苗→金日成でK井S香金融相の娘)がいて、E川もオウム事件が発覚した当初から菊地直子をかばい、ひたすら菊地直子の罪を別人に着せ、警視庁などに進言していた。
 
 警視庁M警察署の裏には東京大学があり、1960年代には、安田講堂で東大病院のインターン制度をめぐり、学生運動が起きている。この騒乱には、警察が出動している。
 東京大学一帯には、赤軍派のアジトか住まいがあり、ほとんどの赤軍派東京大学と接していると思われる。
 何故、赤軍派が集まるか、といえば、日本一の大学であることの他に、日本の皇族などが治療を受けたりお産をする宮内庁病院が東大付属病院であるからであると思われる。
 オウムの捜査は、M警察署の初動捜査により、開始されている。しかし、これらの問題を抱えたM警察署が主導権を握る形では、未解決の事件の犯人に誘導される危険性があり、その誘導捜査の要だったのが、菊地直子平田信をM警察署に進言する者たちの隠匿行為であった。
 菊地直子は、次第に指名手配書とは全然似ても似つかない人を菊地直子である、と地元で吹聴され、平田信はHの宮であるとし、二人の逃走犯はM警察署の間違った認識により、行方をくらませた。
 このM警察署に間違った情報を提供したのが、K新聞社の記者の立場を利用したジャーナリストのE川S子である。E川S子は、麻原の別人のH山K夫前総務相の妻で都澤和子である。E川は、菊地直子の父親の野村の愛人で、菊地直子をかばうと、TBSからも仕事がもらえた。
 菊地直子は、TBSアナウンサーのA宮T子であり(後に、菊池直子であるE川をテレビに出演させるためにTBSから頼まれ別人を菊池直子にする工作をしていたことがわかっている)、それを隠すために、TBSは、他の企業に菊地を出向かせ、罪をなすりつけてくるように、と言われていた。自社のアナウンサーをかばうTBSは、E川S子がお気に入りだったに違いない。
 A田Y生というジャーナリストも、工藤会と関係がある(野村の親戚?)。オウム信者は、タレントが多く、彼らも菊地直子をかばえばTBSから仕事がもらえたに違いないし、それを知っている信者ではないタレントもしかりである。
 菊地直子はテレビ局から仕事をもらうために、かばう人が大勢いて、それもを捜査を困難にする要因となっている。
 
 M警察署にでっちあげを進言したE川S子(大内早苗と同一人物)は、警視庁からもかばわれるようになり(長い期間のオウム逃走により、警察は、冤罪により全く別人を逮捕したりしていた・中には取り返しのつかないものもある)日本社会は、そのせいでE川S子のコントロール下に置かれた。そして、今もその状態は続いている。 

 1969年9月に、赤軍派は東京戦争を起こしている。文京区M警察署に向けて火炎瓶を投下し、庁舎の一部が炎上した。これを、M警察署火炎瓶襲撃事件といい、犯人は赤軍派で、隣接する東京大学で火炎瓶を製造していたという。犯行に関わったメンバーは40名ほどいて、その中に、野村(赤軍派幹部)がいたと思われる。麻原彰晃は田宮高麿で、早川紀代秀は魚本公博である。
 
 警視庁M警察署の管轄する地域は、オウム発祥の地であり、赤軍派のたむろする地域である。オウム信者の林郁夫は、オウム付属医院の医師であるといわれているが、文京区のM警察署の近くで薬局を営んでいる。この地域の薬局や飲食店やほとんどの店は、近くにある東京大学の病院や学生をターゲットにしたもので、林郁夫のオウム付属医院とは、東大病院付属医院の可能性がある。
 薬局のほとんどは、東大病院から処方を受けた薬を調合する薬局であり、林郁夫の薬局は、漢方薬を扱っているが、他の薬局と同類に、東大病院と関係があるであろうと思われる。それをオウム信者が「オウム付属医院」と呼んでいる可能性がある。