宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 33    よど号事件

●事件名
よど号事件

●事件の概要
 1970年3月30日、赤軍派の学生が、羽田-福岡間の旅客機(JAL・愛称よど号)をハイジャックし、機長を脅して、北朝鮮に向かわせた。
 日本に帰ってきたのは4月5日で、その間、世間はこの事件で持ちきりだった。
 旅客機をハイジャックしたとされる赤軍派の田宮高麿ら9人が首謀者として逮捕された。

●事件の背景
 1960年頃、アメリカと日本が、新日米安保条約を締結した。
 しかし、それに反対する学生らが運動を起こし、安保条約反対を叫び、各地でデモが起こり、過激な活動家も現われた。
 大学内で爆弾騒ぎが起こったり、機動隊なども出動し逮捕者も続出した。
およそ10年程続いたが、よど号事件を境に運動家もだんだんと姿を消した。

●犯人は誰か

 1960年代は、アメリカに反対する北朝鮮系や共産圏の過激派が安保条約に反対するという理由で、各地で爆弾事件などを起していた。
 1968年、その延長上で、金日成赤軍派により皇族のHの宮が拉致され殺害される事件が起きていた。
 明仁皇太子や日本の国民は、そのことに気づかずにいた。
 しかし、このことにより原因不明のイライラ感が積もった明仁皇太子は、「M智子(皇太子妃)との間に自分の子供が一人もいない。みんなどこかへ行ってしまえ」と心の中で強く思うようになっていた。1970年のよど号事件とは、明仁に嫌われた二人の皇族の子を連れ出そうとする計画により、他の皇族たちに不安感が広がり、他の皇族たちも、北朝鮮へ行ってしまおう、などという感情が沸き、実際に赤軍派の用意する旅客機により、北朝鮮へ行ってしまった事件であると思われる。
 当時、日本には、北朝鮮が悪いのではなく、アメリカが悪いという感情が充満しており、北朝鮮に疑いの目を向ける者はいなかった。

 よど号事件の時、平野一路と平野真美という二人の子が旅客機に乗っていたが、途中で降ろされ、平田松枝という女に大阪の長柄神社まで連れられ、
娘の方がA前首相に引き取られた。
 男の子の方は行方がわからない。

 その後、二人に扮装した赤軍派がNの宮とAの宮として育った。

 その際赤軍派は、自分たちの素性を隠すために、持っていてくれれば金をやる、などと言い、近所や知り合いなどの家の夫婦にパスポートを渡していた。
 
 
 赤軍派塩見孝也という人物がいるが、この人物は明仁皇太子であった。明仁皇太子は、赤軍派の樺美智子と結婚していたためか、自分も赤軍派に入り、塩見孝也として過激活動に参加していたものと思われる。
 つまり、その時から金の支配下にあった。
 明仁皇太子は、アメリカが嫌いだったため、赤軍派の運動に参加していたと思われ、樺美智子とも意気投合していたと思われる。
 しかし、樺美智子は、1959年6月15日に国会前で死亡したといわれているる。この樺美智子が実は生きていて、明仁皇太子と結婚したのか、死別したのかはわからないが、結婚後のM皇太子妃のお印が白樺であることから、何らかの関係があると思われる。同一人物の可能性もあり、結婚したが、80年代に殺害されていることも考えられる(赤軍派などのの女たちにより亀戸天神で暴行死した女性がいる。その場合、今のM皇后に扮しているのは、重信房子や森順子の可能性がある)。

 赤軍派などの森順子は、金日成の娘で金敬姫という女であることがわかっていて、他の構成員たちも金の娘であったり家族であることが考えられる。
 他に、アラブ赤軍派や塩見のような反米という理由で参加している者もいるだろう。