宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 23-7  仮谷さん拉致事件のつづき サティアンの殺人を隠すためのでっち上げ事件

 仮谷氏とは

 仮谷清志として写真に使われた人物は、仮谷M氏ではないことがその後わかった。この人物は、港区に住んでいた男性で、在家オウム信者のK野という女性信者の父親であることがわかった。名前は、K野S作氏といい、書道教室をしていた。
 しかし、この人物は、1991年か1992年頃にすでに死亡している人物で、名前も仮谷清志という名前ではない。
 
 仮谷拉致事件が明るみに出る直前、オウム信者は、上九一色村サティアンで、多数の殺人をしていて、オウム事件が公表された頃、このことを隠して、別人が死んだことにしようという平田のアイディアで、すでに死亡していた在家オウム信者の父親の写真を使い、名前を仮谷清志とし、この人物の殺害であるかのように装った。
 オウムの在家信者は、仮谷氏の妹とは違う別の信者である。
 この信者は、母は1980年代に他界していて、父親も1991年か1992年の年春か秋頃、死亡していた。しかし、多数の人々をサティアンで殺害していたことを隠すために、天皇明仁の親戚が死亡したことにしようということで、死亡した人々を天皇のために死んだ、ということにした。明仁天皇も、そのことを承諾したという。明仁天皇は、仮谷M氏をしている人物と同一人物である。

 在家信者K野と平田信は、兄妹にあたり、平田信は、その当時、麻原が大株主である放送局T東京の役員のY木H樹といい、在家信者とは幼なじみだった。在家信者は、父親が死亡後、港区麻布から目黒区柿の木坂に引っ越している。在家信者には叔母がいた。
 葬儀は1991年か1992年春か秋頃、自宅近くの広尾駅近くのお寺で大々的に行われた。
 写真の人物は、A前首相にも似ている。在家信者の父母は、日本の伝統に造詣が深く、A前首相のように日本語の漢字を読み間違えることはないのではないかと思われるが、書道の先生をしていた父と、A前首相が書道が上手なことが、共通点であり、本人かA前首相と兄弟であった可能性もある。

 その頃のサティアンには、制服を着た女子高生が後ろ手に縄をかけられて、中に入っていく姿を地元の人か報道関係者などが目撃していた。

 サティアンでその頃殺害された人々の数は、信者の記憶によりまちまちだが、4,5人という話もあれば、13,4人という信者もいるので、正確な数はわからない。しかし、すでに死んだ人の写真を使い、でっちあげ事件を装うぐらいなので、15人ほどということはないと考えられる。
 
 オウムが報道される以前、都内の私立高校の通学路で声をかける女性信者がいた。大内早苗(W・ブッシュの愛人で兄妹)と思われる信者が、帰宅する女子高生に声をかけ、話を聞いてくれ、などと言い、喫茶店に誘ったり、拒否すると車で無理やり拉致し、サティアンまで連れて行かれた。警察にももちろん通報していたが、駆け付ける警察官は、あまりのことにその場で立ち尽くし、その後、彼らをとめるのは無理だなどと思い、やりすごしたという。
 サティアンに連れられた人々は、女子高生だけではないらしく、他の場所で同じように信者が声をかけ拉致していたと思われる。
 この高校は、在家信者Kと菊池直子の母校である。
 在家信者Kと菊池直子は、部活の先輩と後輩だった。

 拉致される人々は、明仁天皇が快く思わない人々の仲間とオウムが判断する人々で、天皇がバックにいるという勢いで、拉致殺人を行ったようだ。
 
 在家信者のK野という女性信者は、テレビ関係の制作会社で働いていた。 六本木のオカマバーに、K元首相や高橋克也などと出入りしていた時にキンギョと名乗る村岡達子(チーママで演歌歌手のI川Sゆり)が店にいた。この店には、上佑や他のオウム信者も出入りしていたらしい。

 もし、仮谷氏がA前首相と同一人物であったとすると、自分の死亡事件を、公安の名で自分で捜査をしていた可能性がある。明仁天皇とは兄弟にあたり、仮谷M氏と顔が似ていたのはそのためだったことも考えられる。
 

 オウムに殺害されたと思われる人物像

 明仁天皇は、天皇職の他に、一般社会でも職業を持っており、その仕事上の人間関係か、活動していた人間関係で好き嫌いを決めていた可能性がある。

 明仁天皇の別名と職業や活動
塩見孝也赤軍派
・歌謡コーラスグループU山田HとC5のM本E朗→バンドコーラス、歌手
・T原S一朗→ジャーナリスト
などである。
 これらの人間関係の中で、明仁天皇の好き嫌いがあり、そこにオウムが目をつけ、殺害していた可能性がある。

・オウムの在家信者K野と敵対する人物
・菊池直子の顔を知る同級生など→顔を知っているので通報されては困る
平田信の顔を知る同級生など