宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-70    仮谷さん拉致事件のつづき 仮谷拉致事件の真相

 仮谷拉致事件の仮谷さんはやはりA生太郎
 仮谷拉致事件の真相

 「目黒」という不動産屋で、K野という在家信者の父親は、同一人物であり、この人物はA生太郎である可能性が高い。
 身長や体格などが、元首相のA生太郎氏とよく似ている。
 また、K野という女性在家信者は、平田信の変装であり、平田は、1982~1988年までの6年間を、文京区の私立女子高校に通っていた。
 この中学高校の校長は、A生太郎氏と同一人物である。つまり、平田は、父親の経営する私立中学高校に女装して入学していたわけだ。
 菊地直子は、当時、K倉という名前で同じ学校に通学していたが、父親はA生氏だった(平田とは家も家族も別だが、家族は親族者であると思われる)。

 高橋克也は、離婚に伴い、慰謝料代わりに土地を別れた妻(菊地直子)に渡そうとして、公証役場を訪ねたが、その公証人が仮谷さんでA生氏だった。
 菊地直子は、平田信とすでにその時夫婦であったか、結婚する予定だったと思われる。
 高橋克也は、歌謡コーラスグループのU山田HとC5のボーカルだったが、1986年に独立しソロ活動をしていた。C5のボーカルの後釜になったのが、A城直樹という人物で、菊地直子は、高橋克也がC5脱退後、後釜のボーカルのA城直樹と結婚していた可能性もある。
 A城直樹は、平田信と同一人物であり、父親はA生氏だった。
 A城直樹がC5にボーカルとして入った直後、C5は、女性シンガーとのデュエット曲を発表し、それがヒットしている。この時の女性シンガーが菊地直子であると思われる。
 
 高橋克也と喧嘩になった仮谷さんの側には、菊地直子平田信夫妻がいたため、仮谷さんを殺害するのに失敗した高橋克也は、仮谷さんと勘違いして
江東区の会社である人物を殺害する。
 その人物は特定出来ていないが、A生氏で仮谷さんが天皇陛下と呼ばれているところから、天皇陛下をしていた人物であることも考えられる。
 つまり、仮谷さんと間違えて天皇陛下を殺害している可能性がある。

 今の天皇陛下をしている人物は、塩見孝也であり、もともと、明仁皇太子か常陸の宮だった。
 しかし、塩見孝也は、1980年代によど号事件の首謀者として逮捕されていた経緯があり、その際、皇太子の代役を、常陸の宮がしていた可能性もある。
 そして、そのまま交代しないまま、常陸の宮が天皇に即位していた可能性もあり、仮谷さんとして高橋克也らに殺害されていたのは、当時、明仁天皇をしていた常陸の宮である可能性がある。
 もし、常陸の宮が殺害されているとすると、平田信は、自分の父親が殺されたわけではないので、殺害に関わることもあるだろう。A生もしかりである。
 麻原彰晃から井上嘉浩(A生氏)に渡されたおはぎとオレンジジュースは、「これから君がうまくやれよ」という合図だったのかも知れない。
 
 天皇陛下を殺害していたオウムは、その後、天皇陛下を尊敬していたり、仲間のような似たような感覚を持つ人々を拉致して殺害していたことが考えられる。それが、オウムのサティアンや各施設で起きていた殺人事件であると思われる。

 平田信が女装して通学していた都内の私立中学高校は、A生氏が経営しているが、創設者は女性であり、創設者の顔は、歌手のM空ひばりに似ている。
 A生氏と創設者は夫婦であり、その子供が平田信だった。
 A生氏で仮谷さんは、大腿骨頭壊死症かそれに近い病気を患っていたと思われるが、この病気は、M空ひばりの死因となった病名と同じであると思われる。
 この私立中学高校には、演歌歌手をしている教師が多い。

 仮谷さんのその後

 仮谷さん拉致事件があり、その後、仮谷さん自身はオウムを恐れつつも、高橋克也のすすめでオウムに入信した。
 仮谷さんは、自分が仮谷さんであると気づかれないよう気を使っていたのだと思われる。しかし、1995年11月30日に、天皇陛下と思われる人物を殺害し、その遺体遺棄が終わった後、仮谷氏は麻原に「自分が仮谷です」と告白した。麻原はびっくりしたが、仮谷氏の大好物のおはぎとオレンジジュースを渡した。
 その後、仮谷氏はおっかなびっくりしながらも、オウムの出来るだけ力になろうと、資金などの面でオウムに貢献していた模様だ。
 A生元首相は、仮谷さん拉致事件で名前を知られるようになり、自分が仮谷氏であることを気づかれないようにしていたため、みんなを騙しているのと同じ効果を得られ、首相になっている。