宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件29-30 仮谷さん拉致事件 仮谷さんは死亡した明仁皇太子に見立てられている

 複雑怪奇な仮谷拉致事件の概要とは

 仮谷さん拉致事件とは、目黒公証役場の仮谷清志という人物はA生元首相の別名者であるが、被害者を、大昔に死亡した明仁天皇(皇太子)に見立てているものと思われる。
 明仁皇太子は、戦後か戦中にマッカーサーにより暗殺されていて※、替え玉となり以来、今まで渡辺芳則(早川紀代秀であることがわかった)が明仁皇太子、天皇に扮していた。
 仮谷さん拉致事件の仮谷さんとは、この昭和20年代に死亡していた明仁皇太子を被害者に見立てて、犯人が発言したり、死んだ、といっているもので、三人の逃走犯は、明仁天皇の息子や娘を殺害した人物らのことであると思われる。
 明仁天皇の息子や娘とは、大昔生きていた頃の明仁皇太子の子供ではないが、替え玉の明仁天皇とM皇后との間の子ではなく、M皇后と他の男(政治家など)との間に出来た子供を、明仁天皇が妬み、外へ出してしまった(連れ出された)子供たちを、殺害した者がいて、その殺人者が三人の逃走犯として指名手配されている。
 だから、明仁皇太子が死亡したこと、天皇夫妻の子供たちが全て死亡していることがわからなければ、仮谷拉致事件のことはわからないのではないかと思われる。
 仮谷さんに扮しているA生元首相は死亡していないが、仮谷さんとしてオウムが見立てている大昔に死亡した明仁皇太子は死んでいる、ということであり、仮谷さんは死亡していると言っているオウムの井上嘉浩は、A生元首相と同一人物である。

 ※明仁の死亡した時期については、いろいろあるが、1997年7月、1995年6月の松本サリン事件の時など諸説あるが、昭和25年頃の明仁の写真と今の明仁天皇の写真が同じ顔であり、明仁が死亡し、今の渡辺芳則になったのは、昭和25年より前の戦中か戦後直後ではないかと思われる。
 その頃から考えると、戦争中に連合国側に殺害されたか、戦後の裁判でA級戦犯として処刑されたかA級戦犯とすりかえられ、殺害されたのではないかと思われる。
 今の明仁天皇に扮している渡辺芳則の年齢は、推定でも100歳を超えており、生きていたなら76歳ぐらいの明仁天皇と同一人物ではない。
 しかも、渡辺芳則は、ナチ政権のドイツの化学博士のシュレイダ-という人物と同一人物であり、その頃の明仁皇太子は、9歳か10歳頃なので、到底同一人物では有り得ない。

 初動捜査の大きな失敗

 オウムの警察の初動捜査の中で重大なミスが一つあった。
 文京区のM警察署で逮捕していたといわれる早川紀代秀の正体について、警察は、早川を演歌歌手Mであると思っていたが、実は渡辺芳則であったことが最近になりわかった。
 逮捕していた犯罪人の正体を間違えていたとなると、オウムの人間関係などもズレてくる。オウムでない人が捜査対象に入ったり、早川紀代秀に捜査情報がバレたりと大変な間違いが起きてくる。
 早川の正体の渡辺芳則は、山口組の組長、北朝鮮金日成総書記、ドイツのシュレイダー首相、などとも同一人物であり、オウムの捜査情報は、暴力団関係者や北朝鮮などにもバレていたことにもなる。
 捜査情報がバレていた、となると、オウムに先手を打たれる結果となる。
 警察関係者や警視総監なども次々と殺害されており(高島平事件)、オウムの在家信者が、警視総監だった人物数人(十数人?)の年金を受給する結果となっている。これも、オウムや暴力団に捜査情報がバレ、警察の動きを把握され、見下された結果でもある。
 しかも、早川はK井静香やM元首相と同一人物で、大内早苗(E川紹子)は、娘である。