宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 40    伊丹十三の死の真相

●事件名
伊丹十三の死の真相
●事件の概要
 1997年12月20日、映画監督の伊丹十三が、直前に出た写真週刊誌の不倫疑惑について遺書を残し、
東麻布の自宅マンションから飛び降り自殺をした。
 伊丹十三は、社会派映画監督として、数々の作品を発表していたが、
創価学会暴力団に対する作品を発表していたが、暴力団などに襲撃される事件も起きていて、それでも自由を貫くなど発言していた。
●事件の背景
 伊丹十三は、次回作を創価学会をテーマにしたものを制作していたが、そのさなかに、不倫疑惑が持ちあがり、「死をもって身の潔白を証明する」とワープロ打ちの遺書を残して自殺してしまったという。
 死因は、全身打撲ということだったが、顔の損傷がはげしく、判別が難しかったという。
 ・社会派の映画監督が映画制作中に死亡するのは不審である。
 ・不倫疑惑に写真週刊誌に取り上げられたことを苦に自殺するのは、自殺の理由がくだらなすぎる。
 ・遺書がワープロ打ちというのも誰かが、マンションから突き落としたことをにおわせる。
 ・創価学会暴力団から恨みをかっていた。
 など、おかしな点が多い。

●犯人は誰か

 伊丹十三のプロフィールを見ると、映画監督の他、広告デザイナー、商業デザイナー、CMプランナー、など、デザインや広告業界でも活躍していた。
 東銀座にSという広告制作会社があり、この会社の社長がHという人物で、伊丹十三の顔によく似ていた。この人物は、イラストレーターで、広告のデザインなどを扱っていた。
 この会社の取引先に銀座のAという広告代理店があり、この広告代理店のコピーライターにO塚という人物、デザイナーにF沢という人物がいた。
 
 2006~7年頃、麻布十番駅近くにあるそば店があり、近くに本社がある。そば会社の近くにはサウジアラビアかシリア大使館がある。
 このそば店の会社の社長は、Wという人物で、顔がAという広告代理店のF沢という人物に似ており、しかし、話方がH社長に似ていた。
 
 写真週刊誌に出ていた不倫の相手の女性は、以前伊丹氏が襲撃されていた後藤組の構成員(後藤忠政の女装)で、そのことがもとで週刊誌がかぎつけたものと思われる。
 この女は、後藤組会長で麻原彰晃とも同一人物である。
 創価学会のことを映画にされると、後藤組も困るということで、映画を中断させる目的で伊丹氏に近づいたものと思われる。

 もし、Wという人物が伊丹氏であれば、自殺は伊丹ではなく他人と考えられるが、そうでない場合は、H社長を装っている人物が、自殺に見せかけH社長を殺害したことも考えられる。
 遺書がワープロ打ちだったこと、暴力団創価学会ともめていたことなどがその理由である。

 銀座のAの代理店のF沢という人物は、知人で取引先のシリア人(演歌歌手のH内T雄で掬賃膾遏砲法■伴卍垢経営していたSという会社の社員を皆殺しするよう命令していた人物である。このシリア人は、H社長が経営していたSという会社の元社員で、1995~1996年頃会社を辞めて隣駅の築地駅近くでデザイン事務所を経営していた。 このデザイン事務所に仕事を出していたのがAという広告代理店のF沢という人物で、F沢とシリア人は、S会社にいた時からのつきあいで、シリア人が独立した際にF沢などから仕事を請け負っていたと思われる。
 もし、F沢が「前の会社が邪魔なので殺せ」と命令した場合、取引シリア人はそのようにしたかも知れない。
 しかし、独立したからといって前の会社の社員を全員殺せと命令するのは不自然である。もし、独立した者全員がそのようにしら、人口が一気に減少しかねない。
 F沢は、何らかの事情があり、50名近くいるS社の社員を全員皆殺ししなければならない理由があったものとみられる。
 もし、H社長という人物を殺害していたとして、H社長が意外にも有名な映画監督だった場合がそれにあたる。彼の死は社会に影響を与えるので、自殺の真相について知りたい人や警察の捜査の手がのびるのをおそれてのことだろう.
 社員の一人がもし、犯人がF沢やシリア人であることがわかると、通報され逮捕されてしまうかも知れないので、社員を皆殺しするよう命令していたとすれば、理由はそのことである。

 伊丹十三記念館は、彼の出身地の愛媛県松山市に建てられた。
 しかし、この地は、後藤組が起した事件もあり、もし、伊丹氏が後藤組の構成員でなければ、伊丹氏と後藤組創価学会はもとからいざこざがあったことが考えられる。