宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ③-10    江崎グリコ・森永事件のつづき Nの宮殺害が目的だった

 グリコは、ヒ素事件のことで森永から恨みを持たれていた。
 一族が死亡していることやも娘などを狙っていることから、このような推測も成り立つ。

 MG(森永)製菓とグリコの社長の妻は、同じような名前で、恵美子と美恵子という。
 MG製菓のヒ素ミルク事件で、グリコに恨みを持ったMG製菓は、グリコに仕返しをするために、森永の社長の妻で娘の恵美子が、江崎社長の妻を殺害し妻になりすまし、江崎社長も殺害した。その後、演歌歌手Mが江崎社長になりすました。
 しかし、江崎社長には、娘や息子、親族がいたため、殺害することほ計画した。
 それがグリコ・森永事件である。
 
 江崎社長が誘拐された時、すでに江崎社長は、ニセモノになっていて、娘を誘拐するのが目的だった。
 その後、親族や役員の家に電話をかけ、江崎社長を返して欲しくば金を持って来い、と言い、親族らに金を持って来させたが、その場で殺害されている。このように親族の家にかけられた電話は、警察は知らなかったと思われる。このようにして、親族や役員などを殺害することに成功し、森永の復讐は成功した。
 電話をかけた人物は、U山田HとC5のK林という人物であると思われる。
 江崎社長をしている演歌歌手Mは、当初、森永の社長であったが、妻が江崎社長を殺害した後、そのままグリコの社長となり、森永の社長には、演歌歌手Mの腹心で手下のH山Y紀夫が演歌歌手Mに代わって社長となった。
 しかも、本物の江崎社長の妻が、M子皇后だった。
 
 江崎社長の親族の家に電話をかけ、金を持って来させ殺害していた時、誘拐した江崎社長の娘のNの宮らしき女の子は、一人で倉庫の傍らにいたが、犯人グループの仲間の一人のC5の森本が現われ、この女の子は何だろう、何か素晴らしい価値のある子なのか、と思い声をかけ、自分の家に連れ出そうと思った。そこで「助けてやるので、今から世田谷の○○(住所)に行きなさい、行けばわかるようにしておくから」と言い、女の子を逃がした。
 そのうち、仲間の他のC5が戻ってきて、女の子はどうしたか聞くので殺しました、などの会話をしたらしい。

 その事件から12~3年ぐらい経った1997年か1998年頃、フランス大使館で
オウム信者が、女性などを殺害し庭に遺棄する事件があり(警察では未発表)、その時の被害者がその時の女の子ではないかという推測もある。
 その女性は、森本と一緒に住んでいたことのある女性らしいが、Nの宮と同一人物の女性かどうかはわかっていない。
 しかし、この頃から社会が不安になり、日本人の自殺率が急増していることなど、何かしら原因があったものと思われ、その原因の一つに、今まで生きていたNの宮が死亡したことが考えられる。
 今、Nの宮をしている人物は、H山Y紀夫と大道寺あや子の娘である。
 森本はH山Y紀夫と同一人物で、今のNの宮と皇太子妃M子の実の父親であり、この頃がらH山は名前がよく出るようになった。

 1970年によど号事件が起きた。この時、熊本に住んでいたオウムの松本智津夫と妻の松本知子の家に連れられてきた子供がいたが、その後、東京に引越し1978年頃に江東区の路上で子供が拉致される事件が起きた。この時、拉致された子供(娘)が、よど号事件で北とイギリスの娘と呼ばれた娘で、よど号事件は北朝鮮の金で明仁天皇にこの娘を見せようと思って、よど号事件が起こされた。
 子供はマンホールの中に一時隠されたが、その後、何者かの手(演歌歌手Mか森本)によって連れ出され、グリコの社長の元で育てられた。
 グリコの社長の妻は、M子皇后と同一人物で、子供はもともと皇族とM皇后の娘だった。
 子供は母親の元に帰ったわけだが、グリコ・森永事件が発生し、社長と共に子供も連れ出された。
 社長はその直前に殺害されていて、娘(Nの宮?)は犯人グループの手によって助けられ、世田谷の家に行った。
 江崎社長は妻に殺害されたわけではなく、犯人グループによって殺害された。そして、演歌歌手Mが替え玉となった。妻は事件の真っ只中の3月に亀戸天神で殺害されたか重傷を負わされ、このため、事件の終息宣言が出された。