皇族を乗せたよど号
よど号にNの宮(北とイギリスの娘)を乗せようとして計画し、また、皇族の娘(皇后美智子が産んだ娘)なのに、遠くで暮らしているNの宮と一緒に旅行に行かないか、などと皇族を誘い、皇族もよど号に乗った。
Nの宮の父親である金日成に、娘のNの宮を見せに行くという名目で、羽田から乗った飛行機は北朝鮮に進路を変えた。
この時、福岡に行くはずだったのに、父親にNの宮を合わせる、ということで進路を変更したか、北朝鮮の直行便がないので旅客機をハイジャックして行く、という説明のようなものもあったのかも知れない。
この時、田宮高麿が旅客機の中で詩吟を披露した。
しかし、ハイジャックしたことが報道されたので、途中で降りた皇后美智子(平野松江)は、Aの宮(一路)とNの宮(真実)を連れて、大阪にある神社に二人を連れて行き、宮司をしていた正田英三郎に預けた。
Aの宮は、1976年頃のロッキード事件の直前にだんじり祭りで殺害され、
Nの宮は1989年の女子高生コンクリート殺人事件で死亡した。
Hの宮は、田宮高麿と同一人物で、1968年頃の黒い霧疑惑の時に殺害され、豊島区にあるラジオ体操公園(大塚公園)の住吉神社に埋められた。
Nの宮は、この後森順子の家に戻り、9歳の時に拉致された。その時入れ替わった大道寺あや子は、よど号の時、田宮が歌っていた詩吟を思い出し、田宮を脅すのに、詩吟を歌っていた。
1970年3月30日頃の生まれ
よど号事件が起きたのは、1970年3月30日頃である。
この時誕生日だった者の父親などがよど号事件の首謀者であると考えられる。
9.11のテロ事件が起きたのは、2001年9月11日で、9月11日生まれの皇族は、Aの宮紀子である。
3月30日頃に生まれた皇族がいるのかも知れない。何も1970年でなくても誕生日がだいたい合っていればいいという感じかも知れない。
また、この人物の父親は、田宮高麿と同一人物者だ。
この人物が後にニセのNの宮をすることが、よど号事件の時から決まっていたようだ。
本物のNの宮が名乗っていたK沢春江の誕生日が4月3日だった。田宮らは、3月30日~4月31日までを、世界革命戦線構築の期間と決めていた。3月31日というのは、この期間中に入っており、Nの宮の誕生日を使用したのかも知れない。
よど号事件とはこういう内容だった
K沢春江の父母は、天皇(当時の皇太子)と皇后(当時の皇太子妃)であることがわかった。
Nの宮とK沢春江は別人である。
K沢春江の父母とNの宮の父母が同じ父母であるために見分けが難しくなっているのだろう。
天皇と皇后の子は、宮内庁でHの宮、Aの宮として育っているのに、春江は宮内庁の皇太子夫妻の子とならなかったので、不憫に思った両親が、「春江を北朝鮮の金の元へ挨拶に連れて行き、北朝鮮に守ってもらおう」と考えた。
そこで、普通に行っては何のとりえも犠牲もないので、旅客機をハイジャックし、北朝鮮に行こう、ということになったのだ。
よど号に乗っていた乗客は、当時の皇太子とゆかりのある医師が多い。他にも皇太子のツテで乗っていた知り合いがほとんどだったようだ。
一行と春江は、金日成の元に着き、挨拶を済ませて春江の世話を頼んだようだ。
これがよど号事件である。