宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-552    仮谷さん拉致事件のつづき

 オウムの腕時計とは

 オウムがしている腕時計は、イスラエル製のものだが、この腕時計がオウムの命令塔の役割をしているものである。
 この腕時計は、脈と心臓ペースメーカーなど内臓された人工臓器と連動して、言う通りにしないと体が痛くなったり人工臓器に支障をきたすことで、言いなりになるようにするものだ。
 この腕時計には、仮説も交えこんないきさつがある。
 イスラエルで囚人となったものの、刑務所に入らす、諜報機関モサドとして外国に行き、謀略活動をする。刑務所に入らないのは、収容人員が許容量を越え、服役することができないためだ。
 こういう人たちは、外国に行き、諜報活動員としてイスラエルのためにはたらいてくる。
 オウム幹部の中には、このような腕時計をしているものがいて、法務大臣のような刑務所のトップが何をするかの命令を腕時計を通して出している。
 イスラエル法務大臣のトップか腕時計の命令者は、上裕の父親(母親?→女の名前で働いていることが多い。女をストーカーする命令をしているので母親かも知れない)であるという。
 この人物も日本に来ていて、特に品行方正な人たちをストーカーしたり妨害するように命令している。
 この上裕の父親か母親は、早川紀代秀であると思われる。

 上裕と同一人物が天皇をしている人物で、この人物はもともとH陸宮であったという。石井久子は、妻の華子かも知れない。
 
 上裕の母親はE川紹子

 上裕の母親か父親だが、この人物は、E川紹子である。警察の捜査方針がE川紹子主導だと思われるのは、上裕に対して警察が甘いこと、E川がイスラエルのトップらしいことなどからわかる。
 E川が、大内早苗と同一人物なら、文京区の東大の隣にある警察署で、警察を騙して殺している(この人物が東大嫌い?)。オウム事件で大内が首謀者である事件もある。
 E川は、オウムの情報を警察に教える代わりに、息子の上裕をかばってほしいと依頼していることが考えられる。
 江川が大内早苗と同一人物で、御茶ノ水の広告調査会社の秋元とも同一人物なら、武闘派という意味で、リーダーシップを少なからず握っていることが考えられる。オウム事件が報道されていた頃、秋元は、立て続けに人を殺している、と言われていた時期があり、女子高生の拉致なども大内が主導権を握っていた、という説もある。
 上裕を操りつつ、E川紹子として警察の捜査方針を決定する権限を持っていたということで、オウム事件の動機が、E川紹子のイスラエルとの関係の間で、何らかの因果関係が出てくる可能性がある。
 オウムがやりたかったのは、大量殺人とそれを利用することによる国家の支配であり、それはイスラエルの国教のユダヤ教の教祖の上裕のためでもある。上裕は、明仁から天皇の座を奪って天皇になっている人物であり、何でも天皇の名の元に強引に公安体制も推し進めているし、殺人も正当化されている。
 この人物は、早川紀代秀と同一人物で、E川紹子と早川紀代秀は同一人物である可能性がある。

 E川紹子と早川紀代秀は同一人物?

 オウムジャーナリストとして度々テレビに出演していたE川紹子は、早川紀代秀と同一人物である可能性がある。
 E川紹子は、当初から菊池直子に似ている、などと言われていた。
 警察のオウム捜査の方針を決めていた人物が、実はオウムの重鎮であったことには驚く。
 E川紹子は、東京大学の隣にある本富士警察署に出入りし、警察官を騙して殺害して、捜査の指揮権を剥奪していた、という説は前々からあり、また、警察の捜査そのものも、E川の息子(上裕)をかばってひかりの輪のことについて発表しなかったり、報道しなかったりしていたこととつじつまが合っている。
 早川紀代秀は、オウム事件が明るみになっていた頃、本富士署に拘留されている、と言われていた。
 早川が度々、本富士に出入りしていたのは、拘留されていた時に、働きに出る、といって警察署を出て、勤務が終わったといってはまた帰ってきた、というようなことか、本富士に監視されていたことを拘留されている、という表現をしていたのか定かではないが、いずれにしても、拘留されていた人物に、その警察署の警察官を殺されていたという可能性がある。
 また、E川紹子の指揮で行なっていたオウム捜査が、早川紀代秀の指示で行なわれていたということでもあり、オウム捜査がちっとも進展していなかったのは、このようなオウムに捜査を牛耳られていたためであることがわかってきそうだ。
 早川紀代秀は、オウムの天才科学者と言われていた人物で、サリンの開発者かそれに近い存在であり、オウムの科学班にいたのが早川だった。サリンの他にVXガスなどもオウム事件で使用されており、このような劇薬を生成していた張本人が、オウム捜査のリーダーシップをコントロールしていたのだ。