宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 60    マレーシア航空機事件

●事件の概要

 2014年3月8日午前0時21分にクアラルンプールを出たマレーシア航空機が離陸後50分頃にレーダーから消え、消息を絶った事件が起きた(6時30分北京着予定だった)。
 3月11日になっても旅客機がどこにいるのかの情報はないという。

おそらくどこかに墜落しているのだろう、というのが大体の見方だ。

●事件の背景

 事故機には、乗客239人中、中国人・台湾人が152人ほど乗っていたという。アメリカの半導体会社の従業員(マレーシア人12人、中国人8人)や、マレーシア人38人、インドネシア7人、アメリカ3人も乗っていた。

●犯人は誰か

 周辺国7~10ヶ国ぐらいが付近の海上を捜索しているが、旅客機らしき物体は発見されていない。
 しかし、ベトナム沖で、旅客機の燃料であると思われる10~20kmにわたる油膜や、機体の一部の「大きな穴の開いた非常用扉」ようなものが発見されている。

 マレーシア航空MH370便が、消息を絶ったのは、ベトナムのトーチュー島という島の上空付近だという。

 タリバン日本赤軍)の仕業であるとすれば、1994年12月に起きたフィリピン航空機爆破事故と同じような方法である可能性もある。
 
 テロの起こし方はこうだ。

 液体爆弾のニトログリセリンを空気が入らないようにビンいっぱいに詰め、香水だ、などと言って機内に持ち込む。
 フィリピン航空機の時には、K26という座席の下が燃料タンクだったので、テロリストは、その座席の下にニトログリセリンで浸した綿で包んだプレゼント用にした腕時計を置いた。そして、機内の床下の温度上昇により、ニトログリセリンの温度が上昇し、爆発が起きたと思われるが、今度のマレーシア航空機事故の場合は、少しやり方が違う可能性がある(後述)。
 この旅客機には、乗客227人、乗員12人の合計239人が乗っていたが、12人の乗員の中にテロリストがいたのではないかと考えられる。
 パイロット一人、副操縦士一人、客室乗務員の少なくとも一人がテロリストで、この中の客室乗務員が、離陸後にサービスされるワゴンの中に仕掛けをし、ワゴン近くにあった非常用扉が爆発により穴が開き、墜落のきっかけとなったのだ。
 
 乗務員は、ニトログリセリンか類似の物質に入ったビンを、ワゴンサービスで使う熱湯入りのポットの中にでも入れて、温度上昇により液体爆弾を爆発させ、ワゴン近くにあった非常扉を破壊したのではないだろうか。あるいは、ワゴンのかごの中に、巾着のような物に入れた液体爆弾とそれをあたためる携帯カイロなどを一緒に入れ、カイロの温度上昇と共に爆発した。
 旅客機の飲み物サービスは、離陸後1時間程度で行なわれることがある。

 このマレーシア航空機のパイロットと副操縦士は、菊池直子と平田信か上裕史浩である。
 そして、客室乗務員が麻原彰晃である。
 タリバンのメンバーに直すと、ザワヒリ(菊池)、ビン・ラディン
、オマル、サイフ・アルアデル(平田)、ビン・ラディン師の影武者、ムハンマド・アーテフ(上裕)、ラムジ・ユセフ(麻原)である。
 機長は普段は、平田信だが、事件当日は上裕が機長をしていたようだ。

 マレーシア航空機MH370便は、ベトナムのトーチュー島沖上空から、方向を変えている。そして、このあたりからレーダーの消息を絶っている。
 レーダーは、航路を急に変更すると消えるのか、機内の異常で磁気が狂い捕捉できなくなるのだろうが、航路を急に変更した、という報道はされているので、非常扉の爆発が起きた後、「引き返そうとして」航路を変えているようだ。
 しかし、引き返そうとしたのではなく、機長らテロリストは、ある目的に向かって航路を変更したのだ。
 それはフィリピンである。
 ベトナムのトーチュー島沖から真っ直ぐ行けば到着地の北京だが、右に進路を変えるとフィリピンに行く。
 フィリピンなら、テロリストの仲間の米軍が駐留し、今にもフィリピンを制圧しようとしている政治状態である。
 旅客機は、フィリピンに向かって高度1万メートルから下降しながら1時間ぐらい飛行し、フィリピンの南沙諸島という島、あるいは、マレーシアのバンギ島を経て、フィリピンのパラワン島アメリカの支配が強い)のプエルト・プリンセサにたどり着き、そこで不時着したのではないだろうか(引き返すのに左に方向を変えたという説もあり、マレーシアのサムイ島やタイのコタルタオ島の山の中腹あたりである可能性もある)。
 しかし、待っていたのは、連絡を受けて待っていた米軍だった。
 乗客の中には、生存者もいたが、この機内で起きたことをしゃべられると困る米軍兵に銃殺されているのだという。