宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 65    袴田事件

 
●事件の概要
 
 1966年、味噌製造会社の専務一家が殺害された。唯一生き残ったのが、長女で、長女は、一家の住んでいた家と別の棟で寝ていたため、助かっていた。
 専務一家を殺害した後、家に放火し、家も遺体も焼けてしまい、殺人と放火の容疑で浮上したのが、味噌製造会社の従業員の袴田氏だった。
 事件から一年後、味噌製造会社の味噌床から、パジャマが発見された。このパジャマは小さいサイズだったが、袴田氏が着ていたパジャマだと疑われ、「一年間味噌床に浸かっていたので縮んだ」と説明した。
 
●事件の背景
 
 この頃は、安保闘争で大学内でゲリラ活動などが行われ、米軍のスパイの赤軍派が台頭していた。
 
●犯人は誰か
 
 この事件では、勘当されていた長女が、別棟に寝ていたため助かった、ということだが、勘当されていた理由としては、本物の長女は前に殺害されていて、ニセモノが長女を演じていたので、家族から嫌われたために、勘当された、ということが考えられる。
 つまり、長女は、家族とは別の人物である。そして、それがきっかけとなって、長女だけ助かり他の一家は皆死亡してしまったのだ。
 長女は、何故、疑われなかったのだろう。
 もしかして、こういうことかも知れない。
 長女が一家の家に放火し、自分は別棟に帰って寝ていた。そして、長女が着ていたパジャマに血痕がついていたのだが、そのパジャマは警察の保管庫から盗まれ、味噌樽に漬けられて一年後に発見された。
 しかし、これでは、簡単すぎる。
 では、長女に男がいて、その男が袴田氏という考え方もできる。
 長女が、一家と喧嘩になって後になって火をつけたか、袴田氏を呼んで袴田氏が火をつけたか、二人がグルになって火をつけたか、というようなことが考えられる。
 長女の男だった袴田氏が、長女と一家が喧嘩していたことがバレると長女が疑われるので、袴田氏がパジャマを自分の部屋にでも置いておいて、警察の捜査が来るのを待っていたのではないだろうか。
 袴田氏のパジャマではないが、長女のパジャマを自分の部屋に置き、長女が疑われるのを阻止し、そのパジャマを盗み出して味噌樽に漬けて証拠隠滅を図ったのではないだろうか。
 パジャマで犯行となると、当時、長女は一緒に寝ていたとか、長い話をしていて皆が眠りについた頃火をつけた、なども考えられる。火が回る前に自分は別棟に行って事件前から別棟で寝ているようなフリをしたということになる。
 
 自作自演?
 
 この事件の犯人は二人いて(袴田氏とその娘で長女→専務が袴田氏の娘を幼少期に拉致して専務宅の長女として扶養していた)、専務宅の家族を二人で共犯して殺害した後、長女をしている人物が、袴田氏の娘を殺害してなりすましていたニセモノだということがわかり、仲間割れして、袴田氏がニセ長女を急遽殺害することになり、最終的に家から出て行ったのは袴田氏一人となり、その長女は、専務と同一人物だったので、専務は家族の寝ていた川に加わり、専務家族として遺体が発見されたということなのではないだろうか。
 専務は、ある宗教団体(S)の会長職にあった人物であり、この人物が宗教団体Sの信者を増やし巨大化させている。
 この事件が未解決だったために暗躍し、信者を増やしたなら、得をしたということになり、実は、共犯で家族を殺害した後自身が殺害される役になるように仕向け、袴田氏にわざと殺され、火事の火よけに味噌を体に付け火事をかわし、水浸しになった家の味噌樽にシャツを入れたのではないだろうか。
 犯行に使われた凶器は、漬物石で、長女は家族と同じ漬物石で殴られたので、専務で長女が共犯者であることが浮上しなかったのではないだろうか。
 玄関先に履物が家族分だけ残されていたのは、長女で専務を袴田氏が殺害していたからで、だから、専務が家族と同じように殺害されたと映ったのだ。
 長女が勘当されて離れに当日泊まっていたのは、専務と同一人物だからで、二人一度に専務役と長女役は出来ないからだ。
 さらに、長女は、専務と同一人物の他、清水警察署の署長とも同一人物で、わざと自身の管轄内で事件を起こしていたのではないだろうか。そうすれば、捜査を有利に進められるし、重要な証拠も隠滅出来る。
 長女を事件後雇用していた説がある、S建設も、長女で専務と同一人物者が経営する会社で、このS建設は、袴田事件の真相がわからないようにするために、S建設や関連会社で働く従業員等にひどいことをして事件を考えさせないようにしている話が出ている。
 袴田氏が「何か長女と違う」と思ったことは、長女の計算内であり、その後、袴田氏が自身を殺害するであろうことも計算内に入れていたなら、この事件は、専務で長女の自作自演ということになる。
 
 専務は仮谷清志
 
 この事件の被害者の専務は、仮谷拉致事件の仮谷清志として1990年代に殺害されている可能性がある。