宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 34-7    日航ジャンボ機墜落事故のつづき

  
 墜落時、まだ乗客は生きていたが、爆弾を持った男が現れる
 
 最近になり、新たにことがわかった。
 日航123便が墜落する少し前、墜落時に操縦席が後ろにへこみ、全席の客室に当たったら困る、という理由で、一列目と二列目の乗客は、ドアを開けて飛び降りるように、機長が命令が出ていた。
 客室乗務員がドアを開けて、一列目と二列目の乗客に、「飛び降りて下さい」と言い、その乗客たちはドアのところに集まり、飛び降りようとしたが、少し高度があるため躊躇していた。
 そのうちに墜落現場へ近くなったが、飛び降りられずにいた(1人は飛び降りた、という説がある)。
 とうとう旅客機は墜落し、乗客たちは客室のシートへ投げ出されて、そのまま気を失って、眠ったり、うなだれたりしていたのだという。
 気がつくと、(二つに折れた機体の前部分の)後ろの方で男の声がした。「この飛行機には時限爆弾が仕掛けられている!」。
 皆一瞬騒然となったが、そのうちにその男は「だけど、ここから外へ出ないで下さい」と言い、しばらくして座席を回りながら「これあげます」といって、爆弾のようなものを渡して回ったという(爆弾を渡して回っていた、というこの部分は本当かどうかわからない)。
 眠っていた乗客もその後のことは覚えていなく、気がつくと、地面にうつぶせになっていた。
 気がつくと、誰かの声がして「あぁ、こりゃあダメだ」と救助しに来た米軍が言っているような言い方で言った。
 この時、乗客は「米軍が言うならそうなのだろう」と思ったに違いない。 
 それでもまだ生きている乗客がいて、後部の方に乗っていた川上慶子が倒れて死にそうになっている地面にうつあぶせになっていた別の乗客に対して「あんたまだ生きてんの?早く死になさい」などという声が聞こえてきて、この周囲やその他の乗客たちは、「なんて意地悪な女なんだろう」と思ったという。
 この頃、防衛庁にウソ情報が入っているという。それは、先ほど、「時限爆弾が仕掛けられている!」とか「あぁ、こりゃあダメだ」と言った米軍のような男が、「ここは○○(の上空?)ですがまだ旅客機は発見できていません」などという内容を防衛庁に連絡していたのだ。
 この頃、まだ生きていた乗客は、死んでしまったものと考えられる。
 そして、七人の生存者のうち、四人だけが助かった。
 
 前述した、米軍が核爆弾を使って旅客機を爆破した、というのは、男が渡した爆弾が爆発したのかも知れないし、別に爆弾があったのかも知れない。
 しかし、墜落時には、旅客機は、ほとんどの機体部分は、バラバラになっていなく(二つに折れたらしいになっていたらしい)、胴体と下半身が切断された遺体は、どういう状況でそのようになったのかわからない。
 もしかすると、一列目と二列目の人たちが、ドアから出ようとしていた時に墜落したので、鉄製のドアのサンなどに当たり、衝撃で胴体や首、下半身が切断されてしまったのかも知れない。
 しかし、この乗客たちの検視を行った医師の手記によれば、切断された胴体が完全体より多かったらしい。
 
 この事故の教訓から、もし、自分が乗った旅客機が墜落した時には、皆と行動を共にするか、一人だけ機内から出て、逃げた方がいいかの決断に迫られたとき、テロリストは、生存者がいて、一人でも多くの人が助かると自分たちの話しが出て疑われて逮捕されたりマスコミに騒がれたりするかも知れないので、一人残らず死んでほしい、と思っている。そういう時に、おとなしく全員皆殺しにされるより、機体からうまく逃げて早く警察に゛ても連絡した方がいいかも知れない、ということだ。
 
 この墜落事故は、後部座席に乗っていた、川上慶子で森順子(大道寺あや子)が、内部の垂直尾翼の部分に爆弾を投げ、そのため、操縦不能になり墜落したのだが、他にも仲間がいて、彼らの赤軍派である。前述の米軍のような男は、田宮高磨(大道寺将司)だし、操縦していた男も、魚住公博(桐嶋聡)である。
 この墜落事故はテロであり、当時は赤軍派という名前だったが、現在ではタリバンという名前の方が有名だ。
 
 高浜機長について
 
 最初、旅客機を操縦していたのは高浜機長だが、垂直尾翼が内部から爆破された後、副操縦士が「俺、こういうの得意なんだ」と言い、操縦を代わった。
 確かに、この副操縦士も、戦闘機の操縦や旅客機の操縦は慣れていた赤軍派の魚住公博で城之崎勉と同一人物である。
 一列目と二列目の乗客にドアから飛び降りるよう、指示を出したのも、この人物である。
 副操縦士は、山へ墜落した方がいいだろう、と思い、山へ墜落させた。
 墜落と同時に、機長のいる方がわずかに先に衝突し、機長は即死した。墜落した直後に「(自分も助かって、君も無傷だし)君って、何なの?」と航空機関士の福田が副操縦士に言った。
 その直後、「私はこういう者だ」と言って、福田航空機関士を銃殺した。
 この墜落事故を招いたのは、高浜機長ではなく佐々木副操縦士だったが、実は、高浜機長も副操縦士とグルな田宮高麿で、墜落して山に追突した後、コックピットから抜け出し、後部から機体の乗客室に入ってきて「時限爆弾が仕掛けられている」「これをあげます」といって爆弾を乗客に手渡していたのだ。
 
 
 123便は、貨物も運んでおり、この貨物の中に医療用のアイソトープ(放射性同位体)や、機体のおもりに、劣化ウランを使用していた。このため、墜落時には、それらが引火したかして、温度が高くなり、現場は異常な高温になっていたという。夏場(8月)だったこともあるだろう。
 自衛隊は、放射性物質による被爆を防ぐため、命令が出るまで待機しろ、と言われていたという。
 
 佐々木機長の正体 
 
ところで、生き残っていたものの、生死のまともな調査がされずにいた佐々木副操縦士だが、この人物の正体は、実は、当時の首相だったN曽根である。
 中曽根は、一人でコックピットを出て、遠くの自衛隊に「まだ来なくていいからなー」と伝達した。
 早く救助や捜査が行われると困るからである。
 
 空調の吹き出し口に爆弾を置いた清掃バイト?
 
 垂直尾翼に爆弾を投げた女は、どのようにしてやったのだろう。
 旅客機の写真を見ると、垂直尾翼の前の方の下には、客席の窓がある。だから、座席の真上が垂直尾翼である、という席があるということになる。
 垂直尾翼と一番近い座席部分といえば、荷物棚と空調の吹き出し口がある。荷物棚のどちらかが側にでっばりの部分でもあり、そこが垂直尾翼とつながりの部分であることを、真犯人は最初から知っていたのだ。
 犯人は、荷物棚か空調の吹き出し口に、離陸前に爆弾を置いて、飛行中に投げた。それが爆発して垂直尾翼が破壊されたのだ。垂直尾翼には、エンジン(油圧)系統の機器があり、ここを破壊されると、操縦もきかなくなる。水平翼の下にあるエンジンが故障したとしても、垂直尾翼があれば救われるかも知れない、という構造をしている。
 この爆弾が時限爆弾だか、手榴弾かはわからない。
 手荷物検査でチェックを逃れたわけではなく、あらかじめ空調の吹き出し口に爆弾を置いておき、飛行中にそれを取り出し、投げたのだ。
 
 また、爆弾には液体爆弾といわれるニトログリセリンがある。真犯人は、このニトログリセリンを瓶に詰め、コンタクトレンズの液体とか、飲み物という設定にして、空調の吹き出し口の中に置いたのだ(ニトログリセリンは少しの揺れで起爆する性質がある)。
 犯人の一人は、このニトログリセリン入りの容器をいつ空調の吹き出し口に隠したのだろう。
 旅客機は様々な人々が搭乗するので、使用した機体を清掃する必要がある。床や座席など清掃員一人一人が掃除していくが、この時なら空調の吹き出し口という狭いスペースなら仕込むのも可能だ。そして、その狭いスペースをつぶさに見ていく清掃員の上司もいないのだ。
 つまり、この事件の犯人(この事件だけではないかも知れない)は、日航機の清掃バイトをしたことのある赤軍派のメンバーということになる。
 
 
 
 
  タリバンとの関連
 
 9.11のテロなどを起こしたタリバンは、説明によると、「1980年代に突如として現れた」とある。
 この日航ジャンボ機墜落事故は、タリバンの仕業だろうか。
 もし、そうであるなら、助かった4人は、タリバンのメンバーである可能性がある。
 ちなみに、川上慶子は、ウサーマ・ビン・ラデインと同一人物である。