宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑥-9    帝銀事件のつづき

 石井四郎はA倍晋三

 帝銀事件の犯人と目されていた石井四郎は、トルーマンではなく、A倍晋三であることがわかった。
 そして、平沢貞通は、同一人物である。
 石井四郎は、平沢貞通として逮捕された人物である。
 
 石井四郎は、アメリカと人体実験のデータを引き換えに助けてもらえる、という密約を結んでいたというので、そのデータが正しいかどうかを証明するために、帝銀事件を起こし、青酸カリの威力を銀行員を使って試し、アメリカに「正しいことを証明し」その密約を実行させ、助けてもらったのだ。
 石井四郎は、その後、厚生省の役人になり、石井四郎に間違えられていた人を殺害したともいう。
 

 オウムの大量殺人と人体実験は、アメリカと石井四郎の関係を拠り所にしている?
 
 ところで、オウムの大量殺人も、石井四郎とアメリカの関係で行われていた可能性もある。
 石井四郎は、1959年に死亡しているのだが、石井四郎と同一人物者の早川紀代秀が、日本人の人体実験のデータを引き渡す代わりに、石井四郎にいい思いをさせる、というような密約を継続し、オウムの大量殺人と人体実験を容認するようにアメリカが警察の捜査を度々妨害していたのだ。
 
 石井四郎は妃になった
 
 ちなみに、1959年に石井四郎が死亡した後、皇太子の妃選びになり、美智子が皇太子の妃に選ばれたが、この正田美智子が石井四郎と同一人物である。そして、同時に赤軍派が台頭し、事実上、赤狩りが行われた。
 樺美智子と正田美智子の顔がそっくりだったのは、女狩りをするためである。
 正田美智子という皇太子の妃が赤軍派の樺美智子だったので、代わりに日本の女が殺されろ、ということだったのだ。
 このように、石井四郎は、名前を変えてまだ日本に巣くっており、そして、石井四郎を助けた密約がまだ名を変えて継続することになるのだ。
  
 石井四郎は東条カツ子 小倉に原爆が投下されなかった理由
 
 石井四郎は、東条カツ子とも同一人物だ。
 東条カツ子は、福岡県の小倉を本拠地としていた。しかし、小倉はアメリカの原爆が投下される予定だったのに、天気の都合で急遽予定を変更し、広島、長崎に原爆が投下された。
 このことが、石井四郎とアメリカの密約につながったのか、あるいは、事前に石井四郎はやらないように助けよう、ということが決められていたのかはわからないが、関東軍のずるがしこいところは、もともとアメリカと仲の良くなかった共産国の中国に被害を合わせていた軍隊で、戦後のことを考えて計画的に行っていたのではないかと思われるところだ。

 銀行の大分割が昭和23年に行われている

 帝銀事件が起きたと同じ年(1948年)に、大銀行の分割が政府によって行われている。1948年に帝銀が解散していたのだ。
 この分割は、世界に類を見ない規模だという。
 実は、帝銀は、設立から5年後で帝銀事件の起きた年の1948年9月23日に解散している。
 帝銀こと帝国銀行の歴史は以下である。

 1943年4月1日(昭和18年) 三井系銀行と、三井組(三井財閥)と関係のある第一銀行が合併し、帝国銀行が設立。
 1943年111月15日 三池銀行を、帝銀、筑邦銀、肥後銀が分割買収。
 1944年8月1日 十五銀行(皇族の銀行と呼ばれていた)を合併 
 1948年9月23日 帝国銀行解散。第一銀行(第一勧業銀行→みずほ銀行)と新帝銀(三井住友銀行)が発足。
 1954年1月 三井銀行に改称

 である。

 帝国銀行が発足した当時の背景は、昭和大恐慌の頃である。帝国銀行となった後は、さらに業績が悪化した。
三井系と第一系は仲が良くなく、それも解散した理由の一つであると言われているようだ。

 上記のことから、帝銀事件は、三井系と第一系を切り離して別銀行にするために起こされた事件である、と考えることもできる。
 帝銀事件が起きたのは、1948年1月26日、帝銀が解散したのは、1948年9月26日であり、年が同じである。
 三井は、イラン系であり、戦中に帝銀を創設し、戦後解散させているが、その間、皇族の銀行と呼ばれる十五銀行を買収し、戦争の勝ち負けに影響を及ぼしていた可能性もある。 
 帝銀事件で、帝銀の役員などが殺害され、そのせいで、まとまらなくなり解散された、という可能性もある。例えば、帝銀椎名町支店に別名等で帝銀の幹部クラスの人物がいて、犯人が毒を飲ませて殺害したかったのは、その人物、ということである。
 一方、三井系銀行はイラン系銀行であり、事件が戦後直後に起きていることから、戦後の支配をイランに有利にしたかったために、イラン系銀行が、日本の皇族銀行(十五銀行)を買収しそれが成功したのでイランに日本経済を握られてしまったなど、裏のいきさつがあった可能性もある(昭和天皇ホメイニ師)。
 何故イランかというと、キリスト教のイエスを殺害したのがイラン人であるからで、第二次大戦は、元々、キリスト教国家と拳嫌キリスト教国家の争いだった、という真相があり、石油の供給問題から始まった第二次大戦は、キリストと石油というつながりがないように見えるものにも密接な関係があったということになる。 
 戦中は、昭和天皇の命令により、極端な女性差別が横行したと言われる。731部隊が行っていた人体実験は、元々イランで日常的に行われていた殺人方法でもある。戦中狂った指導部が国内で命令していた事は、イラン人の思想に近いというようなことがあったのだとしたら、戦争はイランのために起こされた、と考えることもでき、それはキリスト=イラン人の崇拝者が多かったためだろう。