宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ③-10    グリコ森永事件のつづき

 また、A倍は、ロッキード社の会長と同一人物で、田中角栄と中国の日中国交正常化を嫌っていたようだ。

 日本のグリコ事件の被害企業は、美智子皇太子妃に関係のある企業と、明仁皇太子に関係する企業で、このうち、美智子皇太子妃に関係する企業が中国系だったのだ。
 皇太子と関係のある森永は、グリコに比べたらとってつけたようなものかも知れないが、イギリスと日本の中国系企業は関連性があるので、(中国系企業の経営者が実はイギリスの王室)この時期を狙って、事件を起こして中国に反対する姿勢を出して、田中角栄株を下落させたが、当の中国では、香港が返還されることが決まり、中国株は意外と日本以外では好調だったのかも知れない。

1982年8月19日 福田和子事件
1982年9月 香港返還決定 中国が強く出てくるとは思わなかった。しかし、香港返還が決定したので
1984年グリコ事件 を起こして、日本で中国系企業をやっていた(腹いせ)

 犯人はA倍晋三か渡辺芳則か

 。素楡

 首謀者は渡辺芳則(鄧小平)もあやしいが、A倍晋三もあやしくなってくる。
 A倍晋三は、中国にかえって得があったので、それを福田和子(A倍と同一人物)事件の被害者が関係する企業を脅迫することで腹いせをしたのではないだろうか。
 確かに中国人と仲の良い田中角栄の家族を殺したはずなのに、ということだ。
 この場合、渡辺芳則の名前が出てくるが、首謀者は渡辺芳則を支配している田岡文子(A倍晋三)、ということになる。

 渡辺芳則説

 また、渡辺芳則があやしいのは、渡辺芳則は、中国では鄧小平だったことだ。鄧小平は、イギリスの香港領を中国に返還しろ、と強行姿勢を取っている。中国が不利(田中角栄が失脚し日本との友好条約が思わしくなくなっていた、香港返還の協議を保留していた)な時に吠えたからといってうまく行くとは限らず、何かの犠牲を作ったのではないだろうか。
 それが、グリコ森永事件である。

 グリコは美智子皇太子妃の企業、森永は明仁皇太子の企業である。
 日本の皇太子夫妻の企業を鄧小平、渡辺芳則、ブッシュ(全員同一人物)が脅迫することにより、中国がイギリスに強く出たことへの矛盾を解消しようと思って事件を起こしたのだ。

 渡辺芳則が犯人だとすると、A倍と皇太子の企業(森永)の娘との結婚は、美智子皇太子妃はかばえないが、皇太子はかばえる、という渡辺芳則のしたことへの皇太子への罪滅ぼしのような役割をA倍が買っているのではないだろうか。
 脅迫状を作成したのは、A倍でK泉(同一人物)なので、A倍ももちろん犯人グループなのだが、被害者の中で、何らかの都合で明仁皇太子だけはかばう必要があり、犯人グループのA倍と皇太子で昭恵の交際が取りざたされた。 
 何らかの都合というのは、A倍と明仁皇太子が実の親子関係にある、皇太子の企業を脅迫し放置しておくと、いろいろなところから文句が出て、騒ぎ立てられて警察が真面目に捜査し解決すると困る、というような理由ではないだろうか。

 事件は意外な問題を秘めていた

 香港返還とは

 香港返還とはそもそも何なのだろうか。
 イギリスと中国は、1840年アヘン戦争を起こし、この戦争で中国が負けたため、99年間香港をイギリス領にするという条約が結ばれたが、第二次大戦が間に起こり、時期がずれていたのだろう。
 その返還時期にあたるのが1997年ということだった。
 グリコ・森永事件が起きた時、イギリスは香港返還を議会で決定し、1997年に中国に香港を返還するように正式に決定した。
 議会で決まる前には、イギリス要人が中国を訪れ「協議しよう」と言ったが中国は態度を保留していたのだが、サッチャー首相(A倍晋三)が中国に行き強行姿勢に出たので、中国も武力行使も辞さない、などと強行姿勢に出たのだという。
 中国が香港返還の態度を保留していたのは、香港を返還する際に何らかの条件があったためではないだろうか。

 アヘン戦争、麻薬

 例えば、それは麻薬の容認なのではないだろうか。
 アヘン戦争とは、イギリスからの麻薬を中国が拒否したことに始まっており、最終的には中国が折れたのだが、中国は感情的に未だにしっくり来ないのだろう。
 中国は、イギリスの麻薬の容認を拒否していたので、香港の返還の態度を保留していたのだ。
 しかし、サッチャーと鄧小平の強行姿勢ぶりが、また二国の対立を招く恐れがあるので、日本の企業を犠牲にし、中国はイギリスの麻薬の容認を拒否したまま、香港返還がイギリスの議会で決定したのではないだろうか。
 
 だから、グリコ・森永事件の裏には、アヘン戦争に関わる中国とイギリスの麻薬問題があったことになる。