宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑰ 松本サリン事件 天皇が犯人をかばう 大内早苗はドイツの化学兵器の父の娘

●事件名 
松本サリン事件

●事件の概要
1994年6月27日夜、長野県松本市で、何者かが猛毒サリンを散布し、近所に住む住民8人が死亡した事件。重軽傷者は660人に及ぶ。

●事件のいきさつ
警察は、翌日、近くの住民宅を家宅捜索した。しかし、証拠もないまま、取り調べを受け、報道機関にも実名で報道された男性がいたが、冤罪であったことが後日判明した。

●犯人は誰か
 事件当日、オウム信者の森という女(大内早苗)が現場近くにいたらしい。なぜなら、事件当時、現場近くで信者を見た、という通報をしたからである。

 森は、医療器械を扱う会社で働いていた。オウム真理教麻原彰晃は、東京大学を受験して失敗しているが、森の働く会社は、その東京大学の病院などと取引があった。1999年には、東京大学により近い落第と名のつく場所に引越した。
 森は、当時、男性の家から薬品を盗ませ、その薬品を近隣に散布したのだろうか。この女がオウム信者の誰にあたるかはわかっていない(大内早苗であることが後にわかっている)。
 化学薬品はよく、器械などの清掃に使われることがあるが、医療器械などと関係があるのだろうか。

 サリンを散布した後、男性の家に上がり男女関係を迫った。
 翌日、警察が捜査しどうやらこの男性が何かを知っていることがわかり、警察署に連行した。しかし、犯人と思しき女とサリン事件当日に会っていたが、男性自体には事件を起こした証拠はなく、後に冤罪として釈放された。

 しかし、この男性Kさんはオウム信者であるといわれている。
 自宅にあった薬品は何に使うものだったのか、は解明されていない。入手経路も謎のままである(こんな捜査は前代未聞である)。押収した際、販売されているものか自作のものかも不明である。
 この事件では科学捜査が行われていないらしい。オウム信者の中にドイツの化学兵器の父と呼ばれ大戦中にサリンを大量に製造していたシュレイダー博士という人物の孫がいて、日本の科学捜査がドイツに追いついていないことも考えられる。
 ・近隣に撒かれたサリンとKさんの自宅にあった薬品の成分は同じであったのだろうか。
 ・工場の機械の清掃に化学薬品を使うことはよく知られている。Kさんが工場などで働いていた場合、薬品は工場で使うものであったことが考えられる。だから、化学薬品に詳しい人であると思い捜査をするべきであるが、犯人の方が知識が上であると逆に説得させられてしまう場合がある。また、サリンを使い、殺人を起こしていてそれが解決されていない場合、捜査は困難であることが予想される。相手は、大戦中のサリンを発明したかも知れない人物と身内である。ただの警察の捜査というより日本の科学捜査の威信をかけて調べを行うべきであった。
  
 森(松本知子、石井久子、飯田エリ子)は、サリン事件の後他人に罪をなすりつけるために、無関係な人を通報もしている。その内容は、東京に住んでいる人を「松本サリン事件の現場で見た」というものだった。それは全くのでたらめな通報だったが、森本人がサリン事件の現場にいた証拠でもある。
 森が見た、という女は実は村岡達子(藤圭子)である可能性があるが、共犯者で同じオウム信者なので警察を混乱させるため、わざと違う名前を通報した。

 また、大内早苗というオウム信者は、1994年5月か6月頃、実家の福島県の父親が死んだと言って、会社を2,3日休んでいる。この大内早苗(別名A元あるいはN階堂両方)は、ドイツのシュレイダーの娘か孫(母親であることが後から判明)である。会社に戻った大内は、特に沈んだ様子もなかったという。大内は、北海道に住むシンガーソングライターで演歌歌手Y幾三の娘(母親)である。大内の女性上司大島という女は、松本知子で長野県のK(河野)さんの兄妹で麻原彰晃の妻である可能性がある(大内早苗も別名で麻原の妻)。

 当時、麻原彰晃を普段からバカにしていた森は、麻原といざこざでも起こし、復讐のつもりで事件を起こしていたのだろうか、と考えられもした。
 しかし、長野県に麻原が住んでいたか出身地と名乗っていた地名があり、(ブッチー・M)というタレント・長野県御東市出身)その場所からの立ち退きを住民らが訴え裁判になっていたとされる。
 その裁判の内容に腹を立てた麻原が命令したといわれている。

 麻原は、テレビタレントとしてお笑い系のテレビ番組に出演していた。
 麻原を有名にしたのは、1980年代のお笑い番組であり、I知事やK元首相などが株主である。麻原のタレントとしての出身地は長野県になっている。