宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝剤探偵所の迷宮事件 100     天皇陛下殺人事件

 オウム信者とは、T元外相(皇后)と夫のT参議院議員(麻原)の息子や娘、演歌歌手M(高橋克也)の愛人たちや渡辺芳則の娘や息子の集団で、天皇のための暴力団である。しかし、天皇は、渡辺芳則に父親を殺されており、事実上、皇后と渡辺芳則のための団体である。
 そのため、渡辺芳則の娘が優遇されている。
 ほとんどが山口組の構成員で、G籐組や工藤会である。
 そのために、T元外相と渡辺芳則の間の子(福田和子オウム信者ではない)が、特別な扱いを受けている。
 
 それは、天皇をHTの宮(ロスチャイルド家でヨーロッパ人)を天皇に選ばなかったことへの復讐的な意味あいもある。

 本物のAの宮は生きていた?

 1995年11月30日に殺害されたと思われていた本物のAの宮のは、お笑いコンビをしているMという人物であるらしいことがわかった。
 Aの宮は、よど号事件の起きた1970年頃5,6歳であったが、1990年頃にお笑いタレントとしてテレビなどに登場していた。
 大阪の長柄神社に連れられ、だんじり祭りで殺害されていたと思われていたが、その後、大阪でA前首相に引き取られ、Nの宮と共にタレントとしてデビューしていた(天皇家の子供はタチ悪い)。

 Aの宮は、もともとT松宮と妻の息子だったが、途中から明仁天皇の息子になっている。

 よど号事件の時、何故二人の皇族の息子と娘が連れ出されたかというと、天皇明仁の妻が、HTの宮やT松宮かM笠の宮など、他の皇族との間に子を生んでしまったからである。
 明仁のライバルの子を外に出したためだが、明仁天皇は、どの子供たちも自分の子供ではないと知り、自分の子以外はいらない、といってしまったために、皇居から別の家に連れ出されてしまった。

 A前首相が自分は天皇であるといっている意味について、このような説もある。
 A前首相はもともと皇族として生まれたが、幼少の時、すりかえられ、一般人として育った。それは明仁天皇のせいだ、と誰かに言われているような気がして、明仁天皇を目の仇にしていた、というものだ。
 しかし、これはA前首相のことではなく、Nの宮のことであり、A前首相は、殺してしまったか、あるいはひどい目に遭わせてしまったNの宮にのろわれていたが、それがわからず、自分のことだと思うようになり、そこから自分は天皇であるという説が生まれていると思われる。
 だから、A前首相が天皇であるというのは、ウソであると思われる。
 A前首相は、1998年頃、自分の息子のところに嫁に来た女を、Nの宮であると言張り、またしても、その子の父親なので、自分は天皇だ、と言っている。しかし、息子の嫁の父親は、坂東國男である。

 1970年頃、よど号事件の時に、A前首相は、大阪の長柄神社にいたNの宮を引き取り、育てていたが、数年後に殺害している。しかし、最近になり、それは別の娘だった可能性が出てきた。A前首相がNの宮だと思い殺害したのは、実は違う娘だった。A前首相は、Nの宮を殺害したと思ったが、それはNの宮ではなかったので、Nの宮にのろわれるようになり、Nの宮の意思により、明仁天皇を目の仇にするようになり、それで昭和天皇ともめごとを起こしていた。

 だから、A前首相は皇族ではない可能性があり、そうなるとHTの宮と同一人物でもない。
 A前首相は、明仁天皇と兄弟ではないと思われる。


 Hの宮のすりかえ、殺人から端を発した天皇殺人は、被害に遭う皇族も増えている。
 T松宮、M笠宮なども、殺害されている。
 ニセのNの宮が皇居に乗り込んできてから、あいつが邪魔だこいつが邪魔だ、あいつならやれる、と、1995年頃から、一人、二人と皇族が姿を消し、それに代わって、赤軍派日本赤軍が皇族として皇居に住むようになった。
 後藤組は、ニセのHの宮、ニセのNの宮、ニセのAの宮を皇居に住まわせ、革命(日本の天皇を自分たちのものにする天皇家革命)を成功させている。
 明仁天皇が何故、赤軍派のメンバーなのか不明だが、赤軍派のたかりになっていることは間違いない。
 よっぽど頭がおかしくない限り、わざとやっていると考えた方が自然である。
 その場合、すでに本物は死亡していると思われるが、以前の写真と比べても、あまり違いがわからないほど精巧な整形か変装である。
 
 日本の人たちは、このまま赤軍派北朝鮮天皇家崩壊計画を黙って見ているしかないのだろうか。
 だからといって、警察が北朝鮮の言う通りにしろ、といってみても、生活や習慣の違いがあり、すべて言う通りにするには、敵は悪魔すぎる。
 流血がないといえばそれまでだが、ただ指をくわえて見ているしかないのなら、戦後の秩序は、65年も経ってから日本に復讐しようとするのは、始めから、日本が発展するようなことを教えなければいいのに、と恨みたくもなる。