宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 52    布川事件

 布川事件

●事件の概要
 1967年、茨城県布川で、大工をしていた男性が殺害された事件。容疑者として二人の若い男が浮上した。
 被害者は、足や体にタオルやワイシャツを巻かれ、首にはパンツが巻かれ、口にもパンツが押し込められていた。
 被害者は、金貸しもしており、犯行現場から、被害者がいつも使っていた白いサイフと借用書がなくなっていた。
 犯行現場では毛髪が8本見つかっているが、3本は被害者のもので、5本は他の者のものだったが、容疑者のものではない。指紋も見つかっているが、容疑者のものはなかったという。
 証拠が乏しく、決め手がないために、裁判が難航した。

●事件の背景
 2011年3月16日に、判決が言い渡されるはずだったが、東日本大震災により判決が延期され、5月24日になった。
 
●犯人は誰か

 容疑者として浮上した人物は、AとWという人物だである。
 この事件の容疑者は、二十歳ぐらいの若者であるが、AとWの本当の年齢はそれよりももっと上である。
 変装していたことが考えられ、頭髪はカツラ使用で、義手や義足を使用していた可能性もある。
 毛髪や指紋が出なかったのはそのせいであると考えられもするが、他に犯人のものと思われる物が現場に残されていなかった。
 この二人が犯人であるという証拠が何もないわけで、自白に頼る部分が大きかったのが、裁判が難航していた原因である。
 犯行現場となった自宅は、玄関や窓は閉まっていたが、勝手口が若干開いていたという。
 しかし、容疑者の証言と食い違い、容疑者の証言(供述)では、勝手口のドアを少し開けたら被害者の顔が見え、そこから入った、ということだが、実際には、その部分は食器棚が置いてあり、食器棚を動かして中に入るのは、無理があるということだ。
 他の出入り口は閉まっていたということだが、もし、被害者の家のカギを持っている人物がいたとすれば、そして、その人物が共犯者だとすれば、他の出入り口から入ることが可能である。
 被害者に愛人のような女性がいたとして、その女性が犯人と裏でつながっていたとすれば、犯行前に被害者宅にいた愛人が、ちょっと外へ出て来る、と言い、玄関のカギを開けたまま家を出て、そのスキに犯人が玄関から家に入り、犯行に及んだと考えられる。
 しかし、どこから入ったかが重要な点であるといわれ、例え食器棚があろうが、犯人はここの窓を開けたというのは、本当のことであるという説が有力だという。
 その場合、犯人は、食器棚のある窓を少し開けて、被害者に窓を開けるように言ったか被害者が自分で窓を開けるように仕向けたことが考えられ、その場合、犯人と被害者は顔見知りである。
 また、被害者が建築会社の社長で、従業員が犯人だとすると、従業員の中に何人かの女性がいて、この女性たちが全員愛人であるとすると、合鍵を持っていても不思議ではない。そして、各人がわからないように次々と社長と会っていたとする(給料日?)と、証言者の知らない情報があり、その空白の間のことはわからない、ということになり、重要な女性の行動や存在を従業員全員でかばっているなども考えられる。被害者は一人暮しというこだが、内縁の妻がいた可能性がある。そして、この妻が従業員と同じ一族である。
 つまり、社長以外の従業員が犯人か共犯者であり、目的は、会社の乗っ取りである。このような犯行を各地でよく起こしているのは、後藤組という暴力団である。
 金は、自分の会社の従業員に貸していたということだろう。

 被害者の体には、洗濯物と思われる衣服が巻かれているが、部屋に洗濯物が置いてあったのだろう。
 部屋の中で洗濯物を放りくつろいでいたことが考えられる。
 しかし、玄関から中に入ってきた犯人によって、ちょうど置いてあった洗濯物を凶器にして、被害者を殺害した。そして、前々から気になっていた白いサイフ(被害者の体に巻きついていたのは、白い洗濯物ばかり)と、借用書を盗んだ。借用書は、白いサイフの中に入っていた可能性もある。
 犯行後、犯人は家を出たが、その姿を愛人に見られていた可能性もある。しかし、この愛人が、犯人と裏でつながっているなら、犯人をかばうために、開いている玄関のカギを閉めて、勝手口から入ったように見せかけたことが考えられる。
 犯行動機は、借金や金目当てのようだが、実際には、殺すために借金をわざとして、殺す時期をうかがっていたなども考えられる。
 しかし、被害者が別名を持っていたとすると、それが誰だかわからないと犯人の本当の目的もわからない。 

 容疑者のWは、茨城県出身の暴力団組長であるが、この事件は茨城県で起きている。
 もしかすると、この時の被害者の名前(本名?)が、暴力団組長の名前となっているのかも知れない。
 さらに、Wは、茨城県常陸という地名と関係のある皇族とも同一人物である。