宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 52-2    布川事件のつづき

 天皇家天皇の弟は、当時、32歳頃だが、この事件の被害者の年齢は62歳ということなので、同一人物ではないかも知れないが、Wが茨城県と関係していること、天皇の弟の宮名が茨城県と関係していることなどから、布川事件天皇の弟と何かの関連性がある可能性もある。
 例えば、天皇の弟がこの事件により殺害され、殺害された茨城県の地名をとり宮名を決めたかも知れないこと、W組長は、この殺人により暴力団として名前を上げたことなどが考えられる。

 判決を有利にするために

 この事件で警察関係者が注目していたのは、判決が言い渡される予定だった3月14日の3日前に、東日本大震災が起きて、5月26日に延期になったことである。
 この日の直前に、首謀者であると思われる被害者の内縁の妻が、自分の勤務する会社を、病院に行くからと他の人に代わってもらい、その日に地震のテロを計画実行したのではないかと思われるからである。
 また、3月14日の判決が5月26日に延期されたが、この直前にも首謀者であると思われる女は、同じように病院に行くから、と他の人に仕事を変わってもらおうとして断られている。
 この仕事は、シフト制であるために、必ず自分が欠勤すると穴埋めする人を探さなければならない。
 この女は、5月の3週の半ばにも、病院に行くから、といって仕事を代わってもらおうしていたが、断られている。
 この女は、一族の母親であり、息子たちは、布川事件の従業員たちである。しかし、被害者にはそれがわからなかったために、従業員全員が裏でつながっていたことを知らなかったのだろう。
 さらに、判決が出た後には、同じ会社で働くAが急に会社を辞めるなどして、今度は、首謀者であると思われる女が、Aのシフトまで出勤するなどして、休む間もなく働くという行為に出ている。
 これは、休む間もなく働くことにより、忙しくしていることにより、事件を知る人たちに、考えさせないようにしたり、言われたりすることを防ぐためであると考えられる。 
 
 東日本大震災は、東北地方や茨城県などに起きている。茨城県は、布川事件が起きた場所であり、裁判官も茨城県の裁判所の裁判官である。
 裁判官は、自宅があるが、別に裁判官宿舎があり、茨城県の裁判所の裁判官は、茨城県の裁判官の宿舎に住む。
 宿舎は、茨城県の中心部にあると思われるが、震災で茨城県は被害が大きかった地方である。
 震災の時、宿舎がどうなったかは定かではないが、地震のために倒壊したとか、建物が壊れて怪我人や死人が出た可能性もあり、この裁判を担当していた裁判官が、この時の地震で死亡してしまったことも考えられる。
 3月14日に判決を言い渡すはずだったが、震災のために5月に延期になったのは、何らかの理由があったと考えられるからだ。
 例え建物が壊れても人が無事なら、仕事に出られるはずで、地震だからといって仕事を休むというのは稀である。
 この裁判の判決を言い渡した人物は、本当に元から判決を言い渡すはずだった人物と同じだったのだろうか。それともとっくに殺害されていて、仲間が変装していたのだろうか。
 
 5月22日

 判決の出る4日前の5月22日の深夜2~3時頃、女は起床している。
 そして、その4時間後の午前7時06分に茨城県地震が起きている。女は、容疑者だったWと共に生活している。

 Wが建設会社の社長をしている

 容疑者だったWが建設会社の社長をしている。関西方面に本社のあるZ組という建設会社である。
 布川事件の被害者は、ただ大工としか職業が知られていないが、このような事件の場合、被害者は高い地位にある社長などである場合がある。犯人が集団で殺したい理由があるからである。
 被害者は、Z組の社長のZ氏という人物か父親ではないだろうか。
 Z組は、銭形平次と関係がある。銭形平次は警察のようなことを江戸時代にしていた人物だが、この被害者も、警察関係者であった可能性がある。
  
 犯行時の様子 推測

 殺害当日は給料日で、従業員が社長の部屋に行き、「これでは足りない」などと話しているうちに、通報者の女性従業員一人を除く従業員全員が社長の部屋にやって来て、首謀者の女が首を締め、その後、強盗に見せかけるために、全員で手足を縛り首にパンツを押し込み、首にもパンツを巻いた。
 白いサイフには、借用書が入っていたことを知っていたので、これも盗んだ。
 白いサイフは、強盗に見せかけるためのものだったが、容疑者として浮上した二人の男が社長から金を借りていた。
 被害者は、Z組の社長か高い地位にある建設業者の社長であると共に、政治家か皇族だった。