宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 28-10    八王子大和田スーパー殺人事件のつづき

 暴力団への理解を啓蒙する

 こういうことも考えられる。
 この事件が「起きた」のは、1995年7月30日で、オウムが指名手配される3ヶ月前のことだ。
 オウム信者を指名手配することを決めていた警察庁長官が、公開捜査に人々がどれだけの関心を寄せて、どのような情報が入りどのようなことになるのかを調べるための実験だった、ということも考えられる。
 また、これからオウムを指名手配することにより、オウムが銃を密造していたことを加味して、銃を使用した事件が横行するであろうことを予想して、この事件をでっちあげ、街中での銃の使用を仕方なしに認めた、という意味あいがあったのかも知れない。
 つまり、暴力団に対する理解を示唆し、犯罪の取り締まりを緩和し、市民もそれをわかるように、という告知のためにでっちあげた事件だった、ということだ。

 犯人と警察

 公開捜査は、一般人による通報により、一般人に捜査協力を依頼し、そのいずれかの人に懸賞金を支払うという名目で通報者に負担をかける捜査方法だ。
 しかし、その捜査のやり方には問題が生じている。
 警察としては懸賞金を支払うのだから、逮捕まで通報者にやってもらいたい、というのが本音だが、一般人には逮捕する権限がない。しかし、出来るだけ自分の生活を犠牲にしてまでも犯人を陥れてくれ、という意思があり、このことから、第二の殺人や新たな犯罪行為の被害を通報者が被ることとなる。
 しかし、警察は、自分たちが捜査しても金は払われないのに、パッと出てきた通報者にいずれ懸賞金を支払うのだから、と通報者に対し腹立たしい感情を抱き、通報者に捜査を丸投げし、自分たちは犯人グループから金銭や金品をもらったり、通報者への防御手段として、みかじめ料を払わないボディーガード行為を受けているのだ。
 この事件は、暴力団の抗争を通報者である一般人に解決させようとした卑怯な公開捜査であることが結果的にわかったが、暴力団抗争の仲介を避けたい警察が、第三者の警察(通報者のこと)を立て、その間に暴力団から利益を被ったり懸賞金で吊った詐欺まがいの職権乱用を通報者に対して行なうなど、悪どい警察権力のやり方が、少しずつわかってきた事件といえる。

 平田信でなく上祐史浩

 フィリピン人のパブの経営者だった騎世気鵑箸い人が殺害された事件だが、被害者は少なくとも二人以上の高校生に整形したり、水商売で働いていたり、派手な印象も与えている。
 所轄の警察は、ある程度、上役から、この公開捜査により、これから手配するであろうオウムの予備捜査をする、という風に説明されていたのかも知れない。
 公開捜査をした場合に、どのような展開になるかなど実験をしよう、と持ちかけられたが、あまり事件に詳しくなる必要もなく適当にやっていればいい、と教えられた。
 この事件の三人(一人?)の被害者は、平田信ではなく上祐史浩にも似ている。
 この事件の被害者が平田でなくて、上祐史浩であった場合、指名手配されるであろうことを予感して、わざと生きた人間の自分を被害者にして、自分(上祐)が整形した顔写真を三人並べて、「これが同一人物の整形だとわかるかな」という挑戦的な仕掛けにし、市民の反応を探る意図があった。
 もし、同一人物であることが即座に見破られるのであれば、あまり派手に(オウムの)事件を起こすのはやめよう、とか、なかなかわからないし思いつきもしない、というような反応なら、市民をやるのは簡単、とかえって自身を強めたかも知れない(多分後者)。
 つまり、将来のオウムの手配犯は、手配される前から市民の反応を探るために事件をでっちあげ(上祐は警察関係者?※)、その反応次第によって自分たちの手を緩めようか強めようかの判断材料にしようとしたのだ。
 結果的に、オウムは17年の間逃走し、その間にさまざまなテロを行なっていたが、それはオウムにとって市民は簡単だった、ことに他ならないというわけだ。

 ※仮谷拉致事件は、仮谷氏の「逮捕監禁容疑」であるが、この名称の「逮捕」という言葉の意味がよくわからない。まるで、仮谷氏の方が犯人のような言い方で、犯人側の方が警察のような言い方である。