松本サリン事件は、別名で松本と名乗る静岡県の信者(松本タカコ)が、自分の名前を(夫より)有利にするために麻原の名前と同じであることをいいことに、長野県松本市でサリン事件を起こした、という説がある。松本と名乗る信者というのは、石井久子(林泰男、青山弁護士)のことだ。夫は、皇后美智子と同一人物で、タカコは昭和天皇である。皇后美智子を昭和天皇がダメージを与えることにより、裁判権を奪おうとしたということも考えられるし、明仁天皇の権力を奪うなら、まず妻の皇后美智子から、と思ったという可能性もある。
松本智津夫が住む、長野県松本市の住民は、オウムから迷惑をかけられているとして、裁判を起こしていたが、これをどうにかするために裁判官舎を狙ってサリン事件を起こした、ということだが、実際には、裁判を牛耳る人物の河野澄子(皇后美智子の姉といわれているが、皇后美智子と同一人物?)がサリンの被害に遭っている。
1994年に起こした松本サリン事件の捜査が進んで、警察にいろいろなことがバレそうになったオウムが、それをごまかして逃げようとしたために、阪神淡路大震災を計画してそれが実行されたとしたら、何故、それがわからなかったのだろう。
通報者の思惑としては、こんなことではないのだろうか。
通報者は、オウムの内部の人物だったが、実は松本サリン事件のせいで巨大地震を起こそうという計画に賛成できなかったが、自分も信者なのでオウムの名前を出すことが出来ず、「オウム」を「赤軍派」の名前に変えて「人工地震」を「ゲリラ活動」というわかりにくい言葉に変えて、何となく警察に伝えようとしたのだ。
松本サリン事件とは、こういうことではないだろうか。
当時、オウムは長野県松本市で食品会社を経営したいと思って土地を取得しようとしていたが、この土地の地主が河野義行だった。さらに、河野義行の妻の澄子は、裁判の長官のような役職についていた皇后美智子だった。オウムが土地を取得するのが嫌だった地主は、裁判を起こして、その判決が7月19日に出る予定だったので、オウムは、サリン事件を6月に起こした。
オウムの実行犯は、当日、河野宅の庭に、時間が経つとサリンが噴霧されるように作った、ドライアイスで包んだサリンを投げ入れた。ドライアイスの大きさにもよるが、何か庭で音がしたので河野澄子は庭の様子を見に行ったら、ちょうど、サリンが噴霧される時間にあたっていて、サリンを吸い込み中毒となった。
河野澄子は、(松本市)裁判の長官をしていたので、部下も同じような被害に遭っていた。例えば、部下の裁判官がたくさん住んでいる裁判舎などの庭にドライアイスで包んだサリンを投げ入れ、噴霧される時間になった時にサリン中毒になったとか、もし、全員別の家に住んでいたとしたら、一軒一軒の家の庭にドライアイスで包んだサリンを投げ入れ、中毒になるように仕向けた。
何故、ドライアイスで包んだサリンという物体が出てくるかというと、事件後、マスコミなどをあて先にした怪文書が届いていて、その怪文書の中に松本サリン事件で使用されたサリンは、ドライアイスの中にサリンを入れた時限爆弾だった、というような記述がある。
これをそのまま事件の犯行時に使われたのではないか、とあてはめてみると、上記のような仮説が成り立つのだ。
現場には、オウムの乗ったトラックが目撃されているようだが、これは冷凍車のようなものかも知れないが、クーラーボックスに入れておく、という方法もある。もし、ドライアイスのサリンの数が多いようなら、冷凍車を使うかも知れない。
河野宅にあった薬品だが、河野は食品会社を経営していて(ナガノT?)、その食品会社の清掃に使う薬品だったということかも知れない。食品会社の工場の機械は、劇薬を使う。
サリンの入手先は、サリンがドイツで開発されていることから、ドイツ系の会社ではないだろうか。ドイツにGE社(シーメンス社)という軍需、医療、電気系の大企業があり、例えば、補聴器などを販売している店や病院で手に入れた、ということも考えられる。