上裕史裕は、東アジア反日武装戦線の佐々木規夫
佐々木規夫は、大道寺将司(麻原と同一人物)に勧誘されて、狼という部隊の一人だった。
連続企業爆破事件では、企業に予告電話をしたという。
その他、旅客機テロも関わっているようだ。
東アジア反日武装戦線は、1974年8月14日に、昭和天皇の暗殺事件・虹作戦を企み、失敗に終わっている。これは、佐々木が今の天皇と同一人物なので、早く天皇の座に就きたかったことが動機となっているのではないだろうか。
1974年8月30日の連続企業爆破事件では、会社がお昼休みの金曜日に決行された。
丸の内にある三菱重工業の一階ロビーの花瓶の脇に核爆弾が仕掛けられ、三菱重工業ビルは、9階まで窓ガラスが割れ、向かいのビルの窓ガラスも割れ、通りに停車していた車も破壊され、爆発音が新宿まで聞こえたという。この事件で死者8人、重傷者、軽症者合わせて384人を出し、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きるまで、戦後最大のテロ事件といわれた。
この爆破事件により、被害者の中に社長が含まれていて、後から乗っ取りのようなことをしたのだろうか。
天皇が佐々木であるなら、他の家族も皆、赤軍派や日本赤軍のメンバーで占められており、よど号事件が起こった時に、天皇家の皇族がどうなっているのか、などという報道がされなかったようだが、実際にはどうなのだろう。
しかし、国民を支配しいいなりにするのに、事件を利用することもあり、もともと天皇家がそういう団体に入っていた、という可能性はある。
仮谷拉致事件とは、仮谷清志の拉致事件ではなく、仮谷実の拉致事件であり(宝財探偵所の迷宮事件 刈谷さん拉致事件を参照)、この人物は、拉致は拉致でも、北朝鮮の拉致やよど号事件を起こした犯人でもあったようだ。
それは、実は、仮谷拉致事件の仮谷氏は、麻原彰晃の母親と同一人物者で、麻原を影で操っていた者である可能性があるが、仮谷氏は、国松長官という検察庁のトップであることを利用して、指名手配犯人と間違え、オウムの世代のような若い世代の人を魔女狩りのごとく疑い、暴力団やオウムが若い人たちを手にかけていたという裏側があり、若い人を狙った犯罪という点で似ていることや、拉致された人たちの想像される人物像が、オウムと間違えられて手にかけられた人たちとどことなく一致するという点だ。
要は、若くて純真な心を持つ日本人の若者を狙い、陥れる、という点で共通点があるといえ、魚本という人物は、若者に恨みがあるのではないか、というところも重要な点であるといえるのではないだろうか。
魚本は、仮谷さんと同一人物であるが、A生太郎とも同一人物である。
拉致から生還した紀の宮 明仁とライバル関係にあった
例えば、浩の宮や秋篠宮や紀の宮の当時の年齢が、平野という人物が連れていた子供の年齢と同じである、と前述したが、もし、常陸宮で魚本が、ライバルの明仁の子を全員拉致して何者かに預け、その子供にとって代わり、自分たちのシンパを子供に整形させて皇居に住まわせることによって、自分が天皇に就任するのに有利にしようとした、ということも考えられる。
子供は、紀の宮だけが生き残っていたことが最近になりわかってきているのだが、他の二人についてはまだわかっていない。
紀の宮は、生まれた後、母親の美智子と同一人物者の住んでいる家に一時的に住んでいたのだが(1970年代)、ある時、ある人物に出会い、自分の素性を聞き宮内庁に電話をしてやっと皇居に戻ることができた、というエピソードが最近になり伝わってきている。
その際、誰が紀の宮をしていたか、などのことはわからないが、もともと、ずっと居住しているわけではなく、用事のある時に出入りする、というような住まいが皇居であるので、その人物が後になって出てこなくなれば、紀の宮は戻っても自分が皇居に戻ったことになる。
浩の宮と秋篠宮は、どこかでまだ生きているかも知れないが、その真相(昔、皇居から拉致されたこと)について教える者がいないので、まだずっと一般世間にいるのかも知れない。