宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑰-11    松本サリン事件のつづき

 
 K野義行の妻
 
 K野義行の妻は、麻原彰晃で菊池直子と同一人物である。
 K野義行の妻は、「事件の当日、庭で○○さんを見た」と言い張って仕方ないが、○○さんに当たる女性は、当日もそれ以前も松本市に行ったこともなく、親戚もいない。河野氏の自宅も知らない、全くの無関係者である。
 E川紹子といえば、「逃走犯は、誰それだ」と大ウソ情報を警察に提供し、オウム事件を内側(林泰男)からも外側(ジャーナリストとして)からも混乱させた人物であるが、この人物には、バックがいる。
 そのバックの人物とは、菊池直子で新実智光中川智正である。この菊池で新実で、麻原の主治医であるという中川は、一部のオウム幹部の実の父親であり、麻原のバックといわれる早川紀代秀のような存在の人物である。
 事件当時、菊池で新実は、千代田区神保町にあるM社という調査会社で、K藤今朝男と名乗ってM社の役員をしていた。K藤には部下がいて、それが足立(女)という名前の林泰男だった。
 K藤は、1994年から入社したアルバイトの一人の、N階堂(大内早苗)という女と仲がよく、N階堂のライバルのUという女性を陥れようと計画していた。
 1994年6月に松本サリン事件が起きているが、K藤は、Uを陥れようとしたのか、足立に対し「K野家の庭で薬剤を調合していたのは、(本当はオウム信者だが)<U>(オウム信者ではない)だということにしてくれないか」とほのめかし、林泰男でE川紹子は、K藤が指示するように、松本警察署にそのように通報したと思われる。
 庭で薬剤を調合していたのは、当時、大蔵大臣をしていた石井久子と同一人物者であると思われる。「俺はH本龍太郎と同一人物の今の大蔵大臣だ」と警察に発言しているからである。
 E川は、上司のK藤で菊池直子で新実智光の命令を聞き、それ以後、警察が違うというのに、Uという女性を犯人だ犯人だ、としつこく通報し続けた。
 その後、地下鉄サリン事件が起きた後、警視庁もオウムの捜査に乗り出すが、オウムを追い続けるジャーナリストとして、テレビに出演し続けるE川紹子を、オブザーバー的な存在として招き入れ、オウム情報をE川の提供する情報を参考にするようになった。しかし、E川は、自身が松本サリン事件で被害者であり、加害者でもある立場であることを利用して、本人と面識もないのにUさんを使い、Uさんを司法取引に使い、E川自身が罪逃れをし、代わりにUを犯人ということにしてくれ、と裁判所に言い「そういうことにしていいか」と聞き、裁判所は、それを認めるようなことをE川に伝えていたのだ。
 E川は、警視庁がE川が提供する情報を参考にしていることをわかっていて、Uさんに何でも罪を着せる代わりに、E川(林泰男)自身や、オウム、天皇家などのいろいろな「すだれ」を、勝手にUさんにさせることにし、仲間のオウム信者にも口裏を合わせるように指示したと思われる。
 そういうE川で林やオウムの勝手な都合で、E川は、Uさんを菊池直子であると言い張り、別の事件でオウム捜査をしていた本富士警察署にその大ウソ情報を提供した。その結果、本富士署は、Uさんの住む文京区の元同級生や周囲の人たちを、オウム信者であると捜査しなくてはならなくなった。
 つまり、E川紹子からしてみれば、「自分が本当はオウム信者で、自分の周囲の人間がオウム信者であるが、無関係で何も知らないUさんに罪をなすりつけてUさんの周囲の人たちをオウム信者ということにしてしまおう」という魂胆だったのだ。
 E川紹子に情報提供される文京区の警察の本富士警察署は、なんと、自分たちの管轄に住む人たちがオウム信者である、というE川の情報を最初は信じられなかったが、そのうちに、オウム真理教総本部のあった港区青山を管轄している赤坂警察署の公安と思われる警察官らの捜査を本富士警察署自体が受けるようになり、「それは違うんじゃないか」と思う人たちが少なくなって行ったのではないかと思われる。
 E川が、司法取引をしていいかどうか聞いた裁判所の職員というのは、オウム信者が裁判所員になりすましていたようだ。
 このように、オウム事件を捜査する者や司法に関係する者たちが、オウム主導のオウム捜査に陥れられるようになり、次第にテレビ放送もオウム事件を報道しなくなっている。
 M社で、E川で林で足立という女(本当の性別は男)は、TBS社から派遣されたスパイだ、と噂があり、やはり、足立は、自分たちオウムの謀略により陥れたUさんを菊池直子である、とTBS社に報告していたようだ。そして、その足立の情報を信用したTBS社をはじめ、他のテレビ局も、次々と、全く事件に関係なく、オウム信者でもないUさんを疑い出し、正と偽が逆転するようになって行ったのだ。
 松本サリン事件の表側では、K野義行に対する冤罪がしきりに報道されていたようだが、本当の冤罪は、K野の妻と菊池直子で新実によって計画された、Uさんに対する冤罪が、河野氏の潔白さの犠牲になってすりかわって報道されていた、というのが実際のところである。
 K野氏は、当時は麻原彰晃と同一人物で、無関係というわけではない。むしろ首謀者だ。松本市で麻原の近くに住む住民が裁判を起こしていた、ということで、その裁判を妨害するために、松本サリン事件は起こされたようだが、これと同時に菊池直子は、Uさんを陥れるという目的を松本サリン事件にはさみ入れ、その役目を、E川紹子が引き受けていたのだ。
 E川紹子は、皇后美智子と同一人物で、いろいろな地域で裁判官としての役割をしていたに違いないが、天皇と皇后のカップルが、東条英機とその妻カツ子である、という批判を外国から受けていて、天皇が即位したら事実上、天皇の妻としての職務を退かねばならない立場にあったようだ。オウムは、それを行うために、皇后にサリンの被害を遭わせた、というような目的もあった。
 しかし、その命令者が、菊池で新実で中川である、Aの宮紀子と同一人物者である。皇后は、実は、Aの宮とも同一人物で、妻の菊池直子で新実とグルになり、皇后の職としてではなく、次の天皇を狙うAの宮として、自分勝手に好き放題やるために、犠牲者が必要で、それがUさんであり、Uさんの周りの人々であったというような自己都合があったようだ。
 
 E川の思惑としては、次の天皇に野心を燃やすAの宮紀子の都合のいいように事を運びたいこと、それには、テロの首謀者である新実に合わせて、テロや戦争が頻発する世の中にしたかったこと、そして、それには、Uさんのような平和の使者的な存在の人々を陥れることが必要だったのだ。
 その第何段階目かの事件が、松本サリン事件である。
 オウムの事件は、昭和天皇崩御し今の天皇が即位する頃から起きはじめている。もともと、オウム的には昭和天皇の方が今の天皇よりも好きだったので、天皇が交代してから不満がたまるようになったと思われ、天皇は新しい宗教団体を創設し、皇后はAの宮に逃げることができたが、天皇としての役に見合う人がいなくなり、その仕事をUさんに押し付けてもいる。
 
 オウム事件をみるには、Aの宮家の存在をみる必要があるのは、Aの宮紀子が、オウム幹部の実の父親でもあり、いろいろな信者が言うとおりにするからで、オウム事件の動機を解くのにカギを握っているのが紀子である。
 
 当初、麻原は、Hの宮であったが、オウム事件を最初に通報したのがE川紹子と言われるが、その目的は、Hの宮から次期天皇の権利をHの宮から奪うためで、その命令を後ろからしていたのが、Aの宮紀子であり、それは、今の天皇が即位した瞬間から次の天皇の座を巡る争いが始まっていたということになる。
 オウム事件以後、麻原彰晃は、H本龍太郎が、H本自身が麻原になる代わりにM山富市から政権を奪ってH本が麻原となった。その後、K泉・A倍政権が誕生したが、この二人は、H本龍太郎と同一人物者である。
 こうしてみると、麻原の役をしている人物が、長期に首相に座に就けていることになり、この状況は、真の首謀者が誰であるかがわかっていないからではないだろうか。
 
 本富士を家宅捜索した赤坂警察署
 
 本当は無実なのに、菊池直子と林泰男に司法取引によって罪を着せられた格好になってしまったUさんの住む文京区の地域を管轄していた本富士警察署を、Uさんをオウム信者であるとして濡れ衣を着せ、かばっていたであろう本富士警察署を家宅捜索し、強制的に本富士を言いなりにさせていた、赤坂警察署だが、この警察署は、問題事を本富士やUさんに押し付けたせいで、何の反省もなく、今もいる。
 オウム真理教総本部のマハーポーシャ(ウクライナにあるオウムの貿易会社と同じ名前)ビルを管轄していたのは、赤碕警察署だが、この警察署の管轄には、指定暴力団住吉会本部と、TBS社がある。
 TBS社は、Uさんに濡れ衣を着せるため、ウソ報告をした足立という女をスパイとして雇っていたテレビ局だが、TBS社は、坂本弁護士のビデオをオウム信者に見せていた、と以前問題になっていた、オウム疑惑のある放送局である。一方、住吉会は、オレオレ詐欺の犯罪の中心的団体として知られているが、オウム真理教の真の首謀者であると思われる、菊池直子で新実智光は、実は、住吉会の会長と同一人物である。オウム幹部は、住吉会のことになるとムキになる特徴があり、オウム信者や幹部は、住吉会の構成員なので、会長の新実に従っている、という可能性がある。 
 この二つの大きな問題のある団体を抱えていたのが、赤坂警察署である。
 赤坂警察署は、この大きな団体、会社をどうすることもできず、自分たちの罪逃れに、本富士とUさんに役割を押し付けるために、本富士を家宅捜索したのではないかと思われる。
 実際に、オウム総本部がなくなった南青山に行ってみると、確かに町並みはきれいだが、どこか猜疑心が強く、ピリピリした雰囲気もあり洗練された一等地のイメージがある割にはどこかがおかしい。文京区民を嫌っていると思われるフシもみられ、また、周辺の企業は、よそ者に対して何かひどいことをしなければ気がすまないというような思惑も持っていて、暴力団構成員も多い。町全体が警察から指導を受けているような雰囲気もある。
 つまり、オウム真理教が解散しても、町が抱える問題は減少したどころか、悪が温存されむしろ暴力団の組織が大きくなっている。
 本富士といえば、オウムの治安体制を他の警視庁の警察署に伝えたり態度で示す警察署として今は知られている。その上、東京大学もあるので、文京区の本富士が嫌っている江東区の警察署がそのしわよせを食うことになるが、江東区には亀戸道場があり、港区南青山、文京区本郷の下にいるのが江東区の砂町ということになる。
 しかし、南青山も治安はよくなく、家宅捜索を本富士に行ったことは失敗といえるが、当時から、警察署の署員の中に、オウム幹部がいたのだろう。
 赤坂警察署の中に、K川という元警部補がいることがわかっているが、この元警部補は、オウムの首謀者の菊池で新実である。
 この人物の自宅は北青山にあるが、パナウェーブという組織の表札がかかっているという。パナウェーブという組織は、盗聴の犯人であるという説もある。
 
 真のオウム逃走犯について
 
 オウムの逃走犯は下記である説が浮上している。
( )内は逮捕された人物 
 
 菊池直子=林郁夫(同)
 高橋克也=演歌歌手M(仮谷清志 どうせ勝てないという理由で替え玉をさせられた?)
 平田信新実智光・上裕史裕(石井久子・斉藤明美
 
 この場合、菊池直子は国松長官と同一人物で、自分で自分を指名手配し自分だけ無罪になるように仕向けたことになる。国松が警察高官のOBということで不可能ではないだろう。
 
 菊池直子が平田信に 巧妙な仕組み
 
 菊池直子は、N階堂照代という女だが、指名手配当時、A元と苗字を変えているが、N階堂とA元をしている人物は別人で、この部分が難しくなっている(N階堂はⅠ原で、A元は新実)。 
 菊池直子はA元だと思うと周囲の人が思うことを計算して、わざと菊池をN階堂にしているが、A元は平田信と同一人物となっており、A元を菊池と通報してもはずれるようになっている仕組みだ。