宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑩-8    国松長官狙撃事件のつづき

 
 国松長官狙撃事件と小杉
 
 国松長官狙撃事件の首謀者は小杉である。
 小杉は、当日の国松長官の居所や予定をオウムに教え信者である、ということだが、小杉はこの件で、本富士警察署から江東運転免許試験場に異動になっただけで、警察上層部が処分を受けている。
これは、事実上、小杉をかばい、他の警察幹部が辞めさせられた、ということで、小杉は警察の特別扱いを受けていることになる。
 小杉は、前々から本富士警察署警察官に、金を払い支配していた人物で、H本龍太郎は小杉の息子である。H本が本富士でちやほやされていたのは、父親が多額の金を警察署員にあげていたからと橋本も金を払っていたからである。
 小杉は、文鮮明朝鮮総連のトップとも関係がある。
 「パチンコ業界が警察の指定席」と言われるのは、暴力団会長で朝鮮総連のトップが、警察官に金を渡して支配しているからである。
同時に小杉は平成の天皇か皇后とも同一人物でもあり、権威主義者の集合体である警察官が、大好きな役職に就いているのが小杉だったことになる。
 
 現場に、北朝鮮製らしきバッチが落ちていた、というが、文鮮明朝鮮総連なら、北朝鮮や韓国内で警察官をしていてもおかしくはない。
 警察署の警察官ではなくても、公安のような役職もあるだろう。KCIAという諜報機関もある。
 
 国松長官を狙撃するよう、実行犯に依頼したのも小杉である。
 小杉は、中村泰(石井久子→菊池直子?)に、「金を渡すので国松を狙撃してくれ」と頼み、中村は見返りに300万円もらっているという。
 小杉は、二ノ宮という信者とも同一人物で、決して実態がわからない人物かといえばそうでもない。
 日本の警察が、男女の扱いで差別がありすぎるのは、小杉から金をもらい、小杉にかばってもらってこそ出世できるという仕組みに変わっていて、中東風の掟を実践しようとするからである。 
 小杉は、麻原彰晃だろうか。
 信者に金を渡して「○○をやれ」と命令し、実行させる。金がもらえるので信者も実行する、ということなのではないだろうか。
 
 オウム事件は次のように解釈できる
 
 
地下鉄サリン事件→官庁(霞ヶ関駅、文部省がある虎ノ門駅であるという説も)、東京大学本郷三丁目駅)、電通築地駅)が、「自分の言う通りにしない」、といってテロを企んだ。この世の中は俺のものである、という動機。
 
松本サリン事件→河野の妻が皇后美智子で、皇后が裁判所を仕切っているのが気に入らない、といってサリン攻撃。
 
Ⅰ田大作襲撃事件→、Ⅰ田大作は演歌歌手Mと同一人物で、天皇とは昔から確執があるので、邪魔だと思った。さらに、政治のキャスティングボードを握っている公明党を支配し、政権をも支配したかった。
 天皇は、「キャー演歌歌手Mに暴行された」などと言った、と伝わっているが、この犯人が本当に演歌歌手Mであるのかは不明だ。
 
  
仮谷拉致事件→目黒区の住民・演歌歌手Mと妻が離婚するにあたり、妻の取り分で揉めた。
  
  上裕の車
 
 現場で薄紫の上裕のワゴンを見た、という説がある。
それは、このような解釈もできる。
 上裕は当初、3人乗りの車に、実行犯と共に菊池、平田や高橋と共に乗っていたが、飯田エリ子の「今だ」という合図で長官を皆で銃撃した後「俺、ちょっと行ってくる」などと言い車から降り、あらかじめ近くに止めてあった上裕の車に乗り込み、そのまま一人で逃走したのではないだろうか。
 あるいは、上裕だけ別の車に乗っていて、別の所(車)から狙撃したのではないだろうか。
 何故、飯田エリ子を含む3人の車に乗っていなかったかは不明だ。
 
 飯田エリ子とは?麻原も逆らえない黒幕なのか
 
 この事件では、飯田エリ子が「今だ」と皆に合図をし、3~4人に国松長官が狙撃されているが、飯田エリ子が中心人物であった可能性がある。
 それはどうしてかというと、警視庁の警察官らは、飯田エリ子を崇拝しているフシがあるからだ。
 飯田エリ子は、別名でN澤Y樹という男性の名前を名乗っているが、このN澤Y樹は、何をしようとも警察に捕まることもなく、「N澤君のやることなら皆無罪」という空気が警察内にあるからだ。
 飯田エリ子は、国松長官狙撃事件だけでなく、仮谷拉致事件も命令したとされている人物で、麻原彰晃早川紀代秀とどっちが力が上なのか、というぐらいの黒幕ぶりがうかがえる。
 飯田エリ子は、2017年頃からA倍晋三とも同一人物であったようだが、何故、2017年頃からかというと、2017年8月に、それまでA倍晋三をしていた人物の国松長官で林郁夫が死んだ、と噂されるような出来事があり、実際には死んでいなかったが、飯田エリ子が出てきてA倍晋三に扮するようになり、本物がいくら「私は生きている」といっても地位を譲らず、色々な政策を打ち立て権力を握ってしまっていた。
 そんな図々しいことが出来るのは、やはり、色々な人たちより力関係が上だからであり、だからこそ、信者や警察に崇拝されることになるのだろう。