I田大作は死んでいた
国会で行うはずだったI田大作氏の証人喚問がA谷会長の国会招致に変わったことには「I田大作に同情して」という理由であったことは前述したが、やはり、この事件の被害者がI田大作氏の娘たちだったからだが、その後、I田大作は事件当時すでに死んでいたことがわかった。
I田大作氏は、1993年に青森県八戸市で女子中学生として殺害されていたのだ。さらに、スーパー殺人事件の被害者の三人は、殺害されたI田大作氏の別名者の娘二人と妻であったことがわかった。何故、家族で八王子のスーパーに働きにきていたかというと、S学会本部が何か情報を知っているか探るためだったのだ。
この事件は、I田大作氏が殺害されこの世にはもういない、ということを知らない人に知らせるための自作自演事件だった可能性もある。
ではどんな方法で事件を起こしたのだろう。
①まず母親らは強盗殺人に見せかけることを計画
②仕事が終わり帰り支度の途中で母親(I垣さん)が「そろそろ始めようか」と、二人の女子校生の手首を後ろ手に縛り固定した
③「ちょっと人を呼んでくるわね」と、母親がドアを開け表に出る
④少し時間を置き母親が帰ってきて、娘二人を銃撃する
⑤最後に母親が自分のこめかみに向けて銃を発射する
⑥発見してもらえるように呼んでいた外部の人物に発見され通報される
以上だ。
母親と娘は、父親と共に板橋区に住んでいて稼業は八百屋店だった。家族も周囲も父親がI田大作氏であることは知っていたようだ。