宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-64    村下孝蔵の死の謎のつづき    

 村下孝蔵は2人いた

 

 村下孝蔵は2人いたことがわかった。
 村下孝蔵は2人いて、初期と後期、中期の人物に分けられる。
 中期の人物は、元々は村下孝蔵の妻だったが、あまりにも売れない夫を見かねてある時、「今度私が村下孝蔵をやる」というので夫は「ああ勝手にやっていい」と返事をし、妻が村下孝蔵として活動するようになったようだ。
 しかし、直後に妻が作曲してレコーディングした曲が大ヒットしてしまった。
そのヒット曲のお陰で妻は大勢のファンを獲得し、テレビにも出演するようになり、知名度も高くなった。

 

 村下孝蔵村下孝蔵が殺害

 

 しかし、妻の人気が安定すると、元々の村下孝蔵(夫の方)は段々と面白くなくなり、妻の方の村下孝蔵の殺害を計画。
 1993月10月に、妻の方の村下孝蔵の曲のモデルとなっていたK村Y子さんという人物が、自宅近くの公園で暴行を受けて負傷した(タレントやお笑いコンビのグループらに暴行を受けて殺害されたが、その後生き返ったが、自分が狙われていると察知し危機を感じた村下孝蔵がK村さんに公園に行くよう指示した)。
 「自分に押し付けられた」と思ったK村さんは、1994年2月頃、別宅にいた村下孝蔵(妻の方)を、文京区の家に誘い出し、共謀する男が殺害してしまったのだ。
 殺害後、その家にいたネコも一緒に殺し、村下孝蔵(妻の方)と一緒にドラム缶に入れてコンクリートを流して青森県弘前市の遺棄した。
 この時の殺害の実行犯が、夫の方の村下孝蔵だったのだ。
 村下孝蔵(妻の方)を殺害した2人は、その後、菊池直子と高橋克也として指名手配された。殺害の舞台となった家の借主は平田信だった。
 

 

 村下孝蔵殺害が仮谷拉致事件のモデル事件か

 

 村下孝蔵は、浩の宮やエリザベス女王と同一人物で、資産家に間違いないこと、殺害グループがオウムの指名手配犯の3人であることから、これが真の仮谷拉致事件だったのではないかと思われる。1995年に起きた仮谷拉致事件は、オウム信者による自作自演事件で、仮谷清志も死んでいないが、その後、資産家がたくさん殺害されているとみられ、この村下孝蔵殺害が、仮谷拉致事件の元になっているモデル事件なのではないかと思われる。

 

 1998年6月に死んだのは元々の村下孝蔵

 

 1998年6月に死んだ村下孝蔵は、元々の村下孝蔵(夫の方)である。

 村下孝蔵は、村下孝蔵として活動していた妻の方を殺害した後、再婚し、青年実業家等と言われるようになった。

 妻の方の村下孝蔵を殺害した共犯者のK村さんと同一人物者と結婚したのではないかと思われる。妻は、歌のモデルに使われていたのが面白くなかったので、夫のギター等に毒物等を塗り活動を妨害していたのではないかと思われる。

 どういう毒かもわからないし、その毒によるものなのかもわからないが、後期の村下孝蔵の頭が異常に大きくなり顔がパンパンになっていた。

 そこから来る病気によって死亡した可能性もある。