宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㊴-12    帝銀事件のつづき 石井四郎と犯人の人相書きは似ている

 

 皇太子は、厚生技官の松井蔚と同一人物であると思われ、平沢の絵の依頼をしていたと思われる。平沢が船の上で名刺交換をする前から知っていた可能性がある。

 戦争中は、プロパガンダ戦争画を画家に描かせていて、皇太子は画家を複数人かそれ以上知っていた。

 松井は731部隊の海外版のシンガポールにいたが、平沢もシンガポールから絵を頼まれていたのではないだろうか。平沢は貧乏な画家ではなく、高額な給料をもらっていたフシがあり、戦時中に画家がなる職業といえば戦争画家ぐらいだろう。

 帝銀事件で警察の捜査も盛り上がってきた頃、GHQから「石井四郎は逮捕しないでくれ」と圧力がかかったという。東京裁判で皇太子が東条英機で石井四郎ということにすり替えられていたので、警察は皇太子と同一人物の松井蔚を石井四郎とみなし逮捕するのをやめたのだろうか。その結果、松井が絵を頼んでいた平沢にお鉢が回ってきたということだろうか。

 人相書と平沢の顔が違っていたのは、人物が違うからで、このことを平沢は冤罪だと言っていたのだろう。

 使用された毒物は菁酸ニトリルということだが、731部隊の関連施設が開発中で終戦を迎えたようだ。強力な毒ということだが、生きたクマを原料としていたのではないだろうか。クマを使えばどんな人にも効果があるということをアピールし、減刑を訴えたかったのではないだろうか。助かった人たちは、皇太子に同情的、協力的な人たちで、外国の要人も含まれていたと考えられる。

 

 

 石井四郎はアメリカの思う人物ではなかった

 

 石井四郎の写真を見ると、顔の一部が東条英機と若干違う。定説になっていた、石井四郎は東条英機と同一人物である、という説は違っている可能性がある。

 帝銀事件の犯人の人相書きの男の顔は、石井四郎の顔によく似ている。人相書きが石井四郎なら、犯人は石井四郎である可能性があるが、何故かアメリカから「逮捕しないように」圧力がかけられたのだ。

 この理由として、アメリカは実は石井四郎を誰だか勘違いし、調べても731部隊の人体実験に関する証拠が得られなかったか、うまく調査できなかったとして、石井四郎の処遇について考えていたところ、石井四郎の家で葬儀が営まれたために、調査を中止し、証拠不十分により無起訴にした可能性がある。

 このことで、石井四郎に対して十分な制裁ができず、苦手意識を作ってしまい、帝銀事件の犯人であるという捜査に圧力をかけてしまったということも考えられる。

 そもそも、第二次大戦は、イギリスの女王と結婚したビルマ出身の夫が、「男なのに国王になれない」といったところから、男性優位を唱える国によって(ドイツ、日本、イタリア)英米に宣戦布告したことが要因の一つであると思われる。

 石井四郎とアメリカが思っていた人物は、このビルマ出身の女王の夫である。しかし、本物の石井四郎は、この人物と顔の一部が違っている。

 アメリカにとって、イギリスの女王の夫は、有罪にできない、という力がはたらいたということも考えられる。だから、石井四郎を無起訴にしたり、犯人として逮捕しないでくれ、と言ってきたということだろうか。

 逮捕された平沢には、妻がいた。例えは、妻が石井四郎と同一人物で、帝銀事件の実行犯だったとして逮捕しようと思っていたら、アメリカから圧力がかかったので、夫の方を逮捕したということなのだろうか。

 平沢貞通は画家だったので、戦争画を頼まれていて、妻が電話に出たりしているうちに雇い主と親しくなったとかも有り得る。

 石井四郎が帝銀事件の犯人だったとして、動機としては、東京裁判で無起訴になったので、それに弾みをつけてさらに未解決にし、一層自身の真相を隠そうとした、ということが考えられる。同時期、未解決三大事件が起きている。その一つは帝銀事件で、後の二つも、石井四郎が行ったことや、そのパワーを強固なものにしようとして事件を起こし、無起訴を永遠なものにしようとしたのだろうか。

 石井四郎は、東京裁判で無起訴になり、その後、同一人物者が厚生省の役人になったという説がある。勘違いされたために裁判にも出ず、無起訴になり石井四郎はかなりラッキーな人物のようである。

 石井四郎と石井四郎に間違えられた人物を例えて言うなら、B大統領とO大統領位の違いである。似ているが同一人物ではない。

 2023年に札幌で起きた猟奇殺人の容疑者Tが、石井四郎の顔の一部に似ている。

 

 石井四郎と戦後の影響

 

 石井四郎と同一人物者が厚生省の役人となった説があるが、厚生省が悪魔だと時に言われるのは、石井四郎が何の刑も受けないで製薬会社等と新薬開発の触れ込みで人体実験をひそかに行っていたり、一旦は禁止された人体実験が再び、日米安保条約締結により復活したのは、アメリカが戦犯と思しき人物をかばっていたことを知らなかったためではないだろうか。日米安保条約締結時の安田講堂の結集は、人体実験が再び解禁されることに対しての抗議であるという説がある。

 また、石井四郎の実家があると思われる千葉県では、石井四郎は正しい人物として、猟奇殺人や女性に対する暴力は甘く扱われていたようだ。

 

 石井四郎は戦時中ドイツに亡命していた?

 

 イギリスのフィリップ殿下は、国王になれなかったといい、結婚直後にドイツに亡命している。そこで、ヒットラーに国王になるために女をやってくれないか、というようなことを頼んでいたと思われる。それに協力したヒットラーは、同様の女性差別の激しい国の日本やイタリアにも協力を頼み、ここから枢軸国3国となった。この計画に賛同した日本やイタリアの戦犯らは、フィリップ殿下と同じようにドイツに密かに亡命していたのではないだろうか。石井四郎も同じようにドイツに亡命していたとしたら、ドイツが嫌いな中国人を人体実験するようにドイツから言われてそれを実行していたのではないだろうか。

 昭和天皇関東軍が喧嘩をし、関東軍昭和天皇側を攻撃した事件がある。それが2.26事件ではないだろうか。

 昭和天皇は、中国人であるという説があり、自身の子らを北京の紫禁城で皇帝とさせていたと思われる。しかし、関東軍は、その中国で、中国人を実験台にした人体実験をしていた。関東軍は、昭和天皇の子らのために中国人を人体実験しようとしていたのではなく、亡命先のドイツに頼まれて中国人の人体実験をしていたということが考えられる。

 ドイツは、人体情報を、国外の女性を攻撃するために使っていると思われるフシがあり、オウム真理教が血のイニシエーションと称して人体実験を行っていたという情報が出た直後の日本は、死人がたくさん出て、医療株が急上昇している。その後の景気は、ドイツに有利になっており、日本での高齢化社会と相まって医療や化学等ドイツの得意分野が繁栄している。

 他の戦犯たちも同様に、ドイツに亡命していたとしたら、東京裁判では全貌がわからなかったかも知れない。原子力爆弾を発明したのはドイツだからで、敗戦国順位は、ドイツの方が日本より上だ(元々計画されていた?)。

 アメリカもドイツには何も言えない部分があり、それは、アメリカの司令部にもドイツへの亡命者がいたからではないだろうか。このようにして、女性を戦争で攻撃することの責任をドイツに押し付けようとしていたことが考えられ、裁判でうやむやになっていたのが、この戦争では何故女性の被害が多かったのか、の部分だ。

 これがドイツと関係があるが、ヒットラーの自殺によりドイツで裁判が行われたかどうかもよくわかっていない。

 ネオナチという言葉があるが、これはナチスの残党員のことである。

 満州で中国人が人体実験をされていた頃、国際都市上海では、中国人とドイツ人の抗争が行われていた。

 

 どうして石井四郎が無起訴だと全部OKなのか

 

 帝銀事件で、GHQ(長官もドイツに亡命していた?)が「石井四郎を逮捕しないでくれ」と圧力をかけてきたらしいが、「石井四郎が無起訴になればこの女性差別思想の戦争は全部無罪ということになる」、と言われている説がある。

 これは何故なのだろう。

 石井四郎といえば、中国の人体実験、化学兵器生物兵器の製造が知られているが、アメリカが特に中国を目の敵にしていたということなのだろうか。

 何故、中国が目の敵なのかといえば、戦争に関わった首脳らが全員女性差別を容認する人たちだとして、中国は特別嫌われた存在だったと考えられる。

 中国には北京に紫禁城があり、これは男子禁制のような場所だった。家臣の男性は、下腹部を切断され女帝の世話をしていたということだが、これが問題になったということなのだろうか。

 そして、この皇帝制度に反対する人たちが、戦犯となり事実上、無罪となっているのではないだろうか。

 しかし、紫禁城の主だった人物と、フィリップ殿下は同一人物であり、紫禁城で行ったことが非難されたので、寝返りを打って女性差別でもいいです、と密約をし、それで戦争が始まり石井四郎が女性に対する復讐を一手に任されていたので、そこで石井四郎さえ助かれば皆無罪ということになったのだろうか。

 

 石井四郎は変装が得意 皇太子と同一人物

 

 石井四郎は変装が得意で、顔の全部のパーツを変えるテクニックがある。顔の一部では判断できなく、顔で同一人物かを判別するのは難しい。

 石井四郎は、東京裁判に石井四郎として出廷した人物と同一人物であった可能性がある。しかし、東条英機と同一人物かはわからないが、当時の皇太子とは同一人物のようである。

 皇太子、松井、石井四郎は同一人物だとして、未解決事件を作ることにより無起訴となることも目的だったが、対中政策のために石井を見逃したと考えられる。

 満州で皇太子にそっくりな張学良らしき人物を見た、という話しがあるが、皇太子は、石井四郎で常時満州にいたとしたら、その人物が周囲にいてもおかしくはない。