宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑫-2    ロサンジェルス襲撃事件のつづき

宝財探偵所の迷宮事件-1のつづき

 1979年5月上旬頃に、ミイラ化した女性の遺体がロスで発見されたが、Cさんが北海道に行くと言って、1979年の3月末頃日本を出国している。その頃までは生きていたことが確実である。殺されたのが出国後すぐだとしても、ほぼ4月である。1ヶ月位で、遺体がミイラ化するのだろうか。黒いビニール袋に入っていたということだが、それは科学的に可能なのだろうか。遺体がTさんだという決め手になったのは歯型だったが、Cさんの両親は、娘の消息に関する情報提供者に懸賞金を出すという旨の発表をしている。
 つまり、その遺体がCさんであるとは、両親も納得していなかったのではないだろうか。

 M氏はよく、Cさんのことで悩んでいた。
 「Cに導かれる」云々のことを言い出す。
 仮に、CさんがM氏ではない誰かに殺されていたとしたら、その犯人に悩まされているのではないだろうか。
 犯人は、M氏の妻を狙っていると仮定する。
そうすると、CさんやKさんが殺されたということもM氏を陥れるために行った犯行といえなくもない。
 
 M氏が急に泣き出したり、言っていることが二転三転するのは、「何か」か「誰か」をかばっているからである。なぜ、M氏はそのような男をかばうのだろう。
 自分の行っていることに収拾がつかなくなり、泣くしかない状態になっているのだろうか。それとも、感情をコントロールするのは簡単なことなのだろうか。かばいたくないのに、かばう人というのは、たいてい親か親族を殺されている。

 しかし、女性対して扱いがうまく、相当数の女性をだましている(たらしこむ)こともあり、それが詐欺行為であるといわれてしまえばそれまでである。
 女性を騙すことを任務とする部門があるかは不明だが、彼もアメリカから金をもらい任務を行うCIAに似たり寄ったりである。
 例えば、妻に対しては、自分との約束を破ったとかで、仲間のマフィア(ロスの事件と同じ仲間)に死に致らせられると、いうこともあったに違いない。
 本人は、マフィアが誰であるか知らず、それが彼らの逃げ道になっている。「誰にやられたかは知らないが、もう死んでしまった」というのが、これにあたる。

 この事件は、まず、以前から仲間だった駐車場の経営者O氏に、広告の撮影で場所を使わせて欲しいとM氏から言ってきことから始まる。ただの使用料にしては破格の金額だった。日本円にして、数十万円だったという。この経営者は、アメリカではよくあるかも知れないが、不審な者が自分の敷地にいた場合、そのような態度を示す代わりに先に手(銃)が出てしまった。不審な者というのは、当時Kさんを狙っていたM氏の愛人の女優Yで、2人が撮影している背後に近づいた。以前にKさんを襲ったことがあるYだったので、経営者(あるいは経営者の協力者)はそれを不審者だと思った。
 しかし、銃で撃ったところ、M氏の妻は1年後に死亡した。そこに、殺してくれれば保険金がもらえる、というM氏の意思があったかどうかが問題だ。
 このM氏とKさんは、怪我を負ったとかで、怪我を追わせた人から金をせしめていたことがあり、当たりやとか、そんなことを時々行っていたらしい。
 事件の後、経営者の口座に駐車場の使用料が振り込まれた。
 しかし、経営者にしてみれば、M氏は保険金を1億5千万円もらっているが、自分は人を殺しているかもしれず、どんなことになるのだろう、という感じだった。そこに、「助けてやろうか」と言ってきたのが週刊B社であった。保険金をもらったM氏が妬ましかったのと、Kさんをどうしてくれると、襲いかかってきた時の暴力に対しての(器材が壊れたなど)の賠償金を支払ってもらいたい、という恨みがあった。

 O氏はM氏の口座を持っているのだろうか。M氏はO氏に親を殺されていたのだろうか。口座詐欺に遭っていると、言動なども犯人の思うツボになることがよくある。M氏がKさんのことを心配していることもわざとらしく見えてしまうのは、この口座をマフィアに作られていることに起因しているのではないだろうか。

 O氏は、北朝鮮とも関係があるらしく、北朝鮮といえば口座詐欺である。
 ロスの銃撃事件で、第三者の共犯者がいる。サングラスをかけ、髪を束ねた男だったという。その男の名前は、Hといい、日本の本富士警察署に勤務している。この男は、銃撃犯のO氏の甥に、父親を殺されている。
 このHという人も、台湾か中国に関係している。
 O氏の甥は、マイヤーブラザーズというプレスリーのご用達店に関係している。
 このように、人をやったりやられたりしているのは、マフィアぐらいしか考えられない。M氏は、マイヤーという名のマフィアの集団に目をつけられていたのだろう。
 M氏は、外国にいても、すぐこのマフィアに出くわして、「こんな所にもういる」と思うことがあったという。